退職後の信吾 5
               清水景允

 2006年4月15日、東京の慶応の仲間から電話が信吾のもとに入った。沢田先生が亡くなったとの訃報である。
次の日16日、急遽、東京に向かった。
目黒駅近くの斎場で葬儀が行なわれる。
斎場近くに来ると。喪服を着た人々が多くなって来た。
沢田先生だから、塾葬か哲学学会葬で行なわれると、信吾は勝手に思うのである。
斎場に着いた。
受付の人々は全て知人であった。
葬儀会場に入った。
中は、今まで信吾が経験した事の無い雰囲気である。
祭壇は無い。有るのは先生の遺体が、ベッドに横たわっているかの様な錯覚する棺に横たわっているだけである。宗教色は全くない。
会場の壁には先生の在りし日の写真の数々が展示してある。その壁の前の机上には出版社に出した大量の原稿用紙が並んでいた。
喪主は桂子夫人である。施主は沢田先生の長男、誠氏が勤める。
時間が来た。
司会者が居ない。
直接、施主の誠氏の挨拶から始まった。
「皆さん今晩は・・・。親父の為に遠く北海道から九州にかけて駆けつけていただきありがとうございます。
・ ・・・・・
今宵は、在りし日の親父の話をするこの会を企画しました。
飲み物は充分用意してあります。
どうか、時間の許す限り親父について語らるなら嬉しく思います。」
 斎場の中は暗い雰囲気は全く無い。

 施主の挨拶によると、先生は2004年6月に心筋梗塞を起こし一ヶ月間入院をしていた。その後、回復し1984年から行なっている大田区民大学で「哲学の会」の月例会で講演をしていた。また、出版活動は、岩波書店から「九十歳の省察」と言う哲学書を、先生の死後岩波書店から出版されるのであるが、先生の亡くなる3日前に、その原稿用紙にピリオドを打ち、4月14日の深夜、心筋梗塞の発作を起こし、救急車で慶応病院に運ばれたが、午前4時2分に死去したとの説明であった。享年89歳であった。
 その「九十歳の省察」は、6月頃、信吾のもとに送られて来るのであった。