退職後の信吾 3
清水景允
信吾の哲学は、次の前提から出発する。
地球上で生を受けた生き物が、この環境の中で天命を全うするまで生き続けるにはどうするか・・・、と・・・。
1960年代後半になって、環境破壊と言う言葉が生まれ(日本では「公害」と言う責任者の明確でない意味不明な言葉が使われている。)、この地球上に大きな問題を投じている。
この問題は、表面だけを見ると、ある企業が環境を破壊する有害な物質を地球上に放出することによって起きて来る現象であるとして、そのような企業に、有害物質を出す事を止めさせる社会運動を起こし、その企業が放出することを止めれば環境破壊は無くなる。
また、自動車の排気ガスが温暖化現象の引き金になっているなら、自動車を走らせない運動を起こし、自動車を走れなくなれば問題は解決する。
しかし、そのような事を、実施すると言うことになると、我々の生活を産業革命以前の社会体制に戻さなければならない。もし、戻したとしても今の生活に慣れた人々は満足するはずが無い・・・。か、と言って現状のままにしておく事も出来ない。ここに、現代、この地球上で抱えこんでしまった大きな問題があるのでないか・・・。
この問題を解決するには、現代社会の中に見られる個々の環境破壊原因を探し求め、解決法を見出すことでは、時間的余裕がない状態になっているのでないだろうか。それだけ緊迫した状態であると信吾はみるのであった。
では、どうするか。
それには、人間の文化の在り方を根本的に見詰め直さなければならない時に来るのでないだろうか。それは、この環境破壊と言う問題を通じて現代がさらに次の大きな新しい、今とは違った価値観、違った社会観を持った歴史的観点から、この問題を見て行かなければならないのでないだろうか・・・、と考えるのである。
それは丁度、古代の少数の人間が数多くの人々を意のままに操る人間中心主義の世界観に対して、人間は神の下に平等であるという思想が生まれ、中世の神中心主義の時代へと進むのである。
しかし、中世後半に成り教会の権威が台頭して来ると、教会は多くの人間を精神の自由を疎外して来るのである。
歴史はやがて、ルネッサンスを経て民衆による人間中心的な世界観が生まれて来るのであるが、現代は、その一部の民衆が利権を盾に己の利潤を得る為に環境破壊をもたらしているのでないだろうか・・・。
それを解決するには、多くの民衆が、その利権を無くす運動を起こし、一部の民衆の行動を阻止すれば環境破壊はなくなる。
しかし、そこには敵対意識が生じ、人間同士の間で闘争が生じて来る。この闘争は過去に世界中の人々に暗い経験を生み体験している。利権闘争だけはしたく無い。利権に勝る新しい価値観、世界観を構築しなければならない時期に来ているのでないかと信吾は考えるのである。
清水景允
信吾の哲学は、次の前提から出発する。
地球上で生を受けた生き物が、この環境の中で天命を全うするまで生き続けるにはどうするか・・・、と・・・。
1960年代後半になって、環境破壊と言う言葉が生まれ(日本では「公害」と言う責任者の明確でない意味不明な言葉が使われている。)、この地球上に大きな問題を投じている。
この問題は、表面だけを見ると、ある企業が環境を破壊する有害な物質を地球上に放出することによって起きて来る現象であるとして、そのような企業に、有害物質を出す事を止めさせる社会運動を起こし、その企業が放出することを止めれば環境破壊は無くなる。
また、自動車の排気ガスが温暖化現象の引き金になっているなら、自動車を走らせない運動を起こし、自動車を走れなくなれば問題は解決する。
しかし、そのような事を、実施すると言うことになると、我々の生活を産業革命以前の社会体制に戻さなければならない。もし、戻したとしても今の生活に慣れた人々は満足するはずが無い・・・。か、と言って現状のままにしておく事も出来ない。ここに、現代、この地球上で抱えこんでしまった大きな問題があるのでないか・・・。
この問題を解決するには、現代社会の中に見られる個々の環境破壊原因を探し求め、解決法を見出すことでは、時間的余裕がない状態になっているのでないだろうか。それだけ緊迫した状態であると信吾はみるのであった。
では、どうするか。
それには、人間の文化の在り方を根本的に見詰め直さなければならない時に来るのでないだろうか。それは、この環境破壊と言う問題を通じて現代がさらに次の大きな新しい、今とは違った価値観、違った社会観を持った歴史的観点から、この問題を見て行かなければならないのでないだろうか・・・、と考えるのである。
それは丁度、古代の少数の人間が数多くの人々を意のままに操る人間中心主義の世界観に対して、人間は神の下に平等であるという思想が生まれ、中世の神中心主義の時代へと進むのである。
しかし、中世後半に成り教会の権威が台頭して来ると、教会は多くの人間を精神の自由を疎外して来るのである。
歴史はやがて、ルネッサンスを経て民衆による人間中心的な世界観が生まれて来るのであるが、現代は、その一部の民衆が利権を盾に己の利潤を得る為に環境破壊をもたらしているのでないだろうか・・・。
それを解決するには、多くの民衆が、その利権を無くす運動を起こし、一部の民衆の行動を阻止すれば環境破壊はなくなる。
しかし、そこには敵対意識が生じ、人間同士の間で闘争が生じて来る。この闘争は過去に世界中の人々に暗い経験を生み体験している。利権闘争だけはしたく無い。利権に勝る新しい価値観、世界観を構築しなければならない時期に来ているのでないかと信吾は考えるのである。