教諭時代 17
清水景允
親父は80歳を過ぎていた。
軽い脳梗塞を起こす事がある。
朝、ベッドから起床することが出来ない日が見られる様になった。それでも、親父の気力で9時頃までには起き上がり、自分の用事を済ますのである。
そんな事が2階で起きてきた。
お袋は、そのような親父の介護は出来ないと言い出した。
近くの養護老人ホームでデーサービスを受けるのである。
そんな日が続くある日、親父は信吾に向かって言うのである。
「信吾すまなかったな・・・。
お前は博士に成りたかった、だよな・・・。
充分な教育を受けさせることが出来なくて許してくれ・・・。」
と謝るのである。
その時、信吾は小学生の時、親父に言われた言葉を思い出した。
それは、「父さんは、お前位のとき勉強をしなかった。だから、雨の日も、雪の降る日も、外で働かなければならなかった。
お前は、父さんと同じ様に外で働く人になるのか・・・。屋根の下で机に向かって仕事をする人になれ・・・。その様な仕事をするには勉強をしなければダメだ・・・。」と言われたことであった。
その時、信吾は自分の勉強机に使用していたみかん箱の上に『僕は早稲田大学を卒業し博士になるのだ・・・。』という子供心に将来の夢を貼付けていた。そのメモを親父が見ていたのだろう。
小学生の頃は、大学は早稲田しか無いと思っていた。
親父は更に続けて、
「父さんは、戦争で父さんの計画した作戦が失敗し、何人もの兵隊を殺してしまった。そして戦争に負けた。それ以来、絶対に人を指図しないで生きようと決心したんだ。そして、人に使われる事に撤して来た・・・。そのため、家は貧乏でお前には博士にさせる為の教育を受けさせる事ができなかった・・・。」と言うのである。
信吾は3歳の時、親父が家の中から書類を持ち出して、それに火を付け燃やしている後ろ姿を微かに憶えている。
信吾は、『そうだったのか・・・。』と合点するのである。
家が貧しく、いじめられたこと、また石炭拾いで線路を歩いた事、炎天下稲木の皮むきをしていて倒れたこと、大人と交じって運送会社の荷下ろしをして、仕事には要領があると知ったこと、修学旅行に参加出来なかったこと等が走馬灯の様に脳裏に浮かぶのである。
信吾は親父の話を聞き、感無量となり外に出た。
しばらく歩いた・・・。
夕映えの太陽の光の中に、大雪山が黄金色に輝き、宵の月が一段と丸く大きく見えた。
・ ・・・・・・・・・・・
その親父は85歳で2001年10月5日に亡くなった。
信吾の59歳であった。
信吾の子ども達は、二人とも教員に成っていた。
二人の連れ合いも教員である。
君枝は頗る体調がよく、君枝の姉妹と旅行を楽しんでいる。
清水景允
親父は80歳を過ぎていた。
軽い脳梗塞を起こす事がある。
朝、ベッドから起床することが出来ない日が見られる様になった。それでも、親父の気力で9時頃までには起き上がり、自分の用事を済ますのである。
そんな事が2階で起きてきた。
お袋は、そのような親父の介護は出来ないと言い出した。
近くの養護老人ホームでデーサービスを受けるのである。
そんな日が続くある日、親父は信吾に向かって言うのである。
「信吾すまなかったな・・・。
お前は博士に成りたかった、だよな・・・。
充分な教育を受けさせることが出来なくて許してくれ・・・。」
と謝るのである。
その時、信吾は小学生の時、親父に言われた言葉を思い出した。
それは、「父さんは、お前位のとき勉強をしなかった。だから、雨の日も、雪の降る日も、外で働かなければならなかった。
お前は、父さんと同じ様に外で働く人になるのか・・・。屋根の下で机に向かって仕事をする人になれ・・・。その様な仕事をするには勉強をしなければダメだ・・・。」と言われたことであった。
その時、信吾は自分の勉強机に使用していたみかん箱の上に『僕は早稲田大学を卒業し博士になるのだ・・・。』という子供心に将来の夢を貼付けていた。そのメモを親父が見ていたのだろう。
小学生の頃は、大学は早稲田しか無いと思っていた。
親父は更に続けて、
「父さんは、戦争で父さんの計画した作戦が失敗し、何人もの兵隊を殺してしまった。そして戦争に負けた。それ以来、絶対に人を指図しないで生きようと決心したんだ。そして、人に使われる事に撤して来た・・・。そのため、家は貧乏でお前には博士にさせる為の教育を受けさせる事ができなかった・・・。」と言うのである。
信吾は3歳の時、親父が家の中から書類を持ち出して、それに火を付け燃やしている後ろ姿を微かに憶えている。
信吾は、『そうだったのか・・・。』と合点するのである。
家が貧しく、いじめられたこと、また石炭拾いで線路を歩いた事、炎天下稲木の皮むきをしていて倒れたこと、大人と交じって運送会社の荷下ろしをして、仕事には要領があると知ったこと、修学旅行に参加出来なかったこと等が走馬灯の様に脳裏に浮かぶのである。
信吾は親父の話を聞き、感無量となり外に出た。
しばらく歩いた・・・。
夕映えの太陽の光の中に、大雪山が黄金色に輝き、宵の月が一段と丸く大きく見えた。
・ ・・・・・・・・・・・
その親父は85歳で2001年10月5日に亡くなった。
信吾の59歳であった。
信吾の子ども達は、二人とも教員に成っていた。
二人の連れ合いも教員である。
君枝は頗る体調がよく、君枝の姉妹と旅行を楽しんでいる。