教諭時代 4
清水景允
受け持ったクラスの生徒達は4月から3年生なる。
将来の進路にかかわる大切な時期だ。
生徒の進路希望調査をしなければならない。
生徒と保護者と担任との三者で話し合が持たれる。
当時、学校校内で三者会談日を設け、話し合うのが普通であったが、信吾の場合、あらかじめ、日程を打合せ、その日をそれぞれの家庭で三者会談を行なうのである。
理由は、信吾のクラスの保護者は共稼ぎの家庭が多く、日よっては、保護者が来校する事が出来ない場合があったからである。
一日に、家庭訪問できるのは2軒位である。
その日の夕方から家庭訪問を開始するのであった。
当時、日本は高度経済成長期で、企業からの求人が多かった。
生徒にとって選り取り見取りの状態である。
しかし、求人企業の殆どが道外企業からである。
道内の景気は道外程ではなく、求人企業数が少ない。
旭川地域では工業化学関係の企業の求人は皆無の状態であった。
従って、地元に残りたい生徒は専門外の企業に就職しなければならなかった。
それでも、クラス全員が希望する企業に就職が出来、大学にも進学する事が出来た。
年が開け3月10日の卒業式を迎え、生徒達は信吾の手から離れて行った。
清水景允
受け持ったクラスの生徒達は4月から3年生なる。
将来の進路にかかわる大切な時期だ。
生徒の進路希望調査をしなければならない。
生徒と保護者と担任との三者で話し合が持たれる。
当時、学校校内で三者会談日を設け、話し合うのが普通であったが、信吾の場合、あらかじめ、日程を打合せ、その日をそれぞれの家庭で三者会談を行なうのである。
理由は、信吾のクラスの保護者は共稼ぎの家庭が多く、日よっては、保護者が来校する事が出来ない場合があったからである。
一日に、家庭訪問できるのは2軒位である。
その日の夕方から家庭訪問を開始するのであった。
当時、日本は高度経済成長期で、企業からの求人が多かった。
生徒にとって選り取り見取りの状態である。
しかし、求人企業の殆どが道外企業からである。
道内の景気は道外程ではなく、求人企業数が少ない。
旭川地域では工業化学関係の企業の求人は皆無の状態であった。
従って、地元に残りたい生徒は専門外の企業に就職しなければならなかった。
それでも、クラス全員が希望する企業に就職が出来、大学にも進学する事が出来た。
年が開け3月10日の卒業式を迎え、生徒達は信吾の手から離れて行った。