教諭時代 1
                清水景允

 信吾は、医大を退院して職場に復帰した。
よく人に「九死に一生を得て、人生観が変わりましたか・・・。」と言われるのだが、信吾はこれと言った事は感じなかった。
ただ、「非常に面白い体験をしました・・・。」としか言えなかった。
麻酔の利き始める時『全身麻酔だな・・・。どのように麻酔が効いて行くのか・・・。我慢出来るところまで我慢してやれ・・・。』なんて、ふざけた気持ちで手術を受け、次の日、麻酔から覚めた時、ICUでお粥を美味しくお腹に入れているのだから、悲壮感なんて全く無かった。
 気分的には、全ての事を忘れて一ヶ月間休養を取れる。と言った不謹慎な感覚で医大に入院したのであった。最悪なことなど、全く心に浮かびもしない信吾であった。
従って、今までの生活の延長で、人生の中で一瞬、道草をした様な感覚であった。

 信吾が現場に復帰したのは8月1日であるから、夏休み後半に入っていった。
 入院中の代理担任の引継も終わり、部活動の一部の生徒しか学校に来ていない。
クラス担任としての職務をこなす事はなかった。その分、自動現像装置の製作に時間を使う事ができた。
信吾の気持ちの中には、この残りの夏休み中に完成させたかった。もう、95%は出来上がっている。

 息子、貴之は小学校6年生になっていた。
日曜日に貴之の野球試合がある。
どうしても、観戦したい。
 貴之はジュニアー野球チームのピッチャーである。
上川管内での決勝戦である。
信吾は、中型カメラ(Mamiya RB 67)を持ち試合会場に赴いた。

 お互いに点数が取れず、貴之のチームは9回裏の攻撃、ツーアウト、ランナー3塁である。
打者の名前は知らないが、小柄の選手がバッタボックスに入った。
監督と3塁ランナーとの間でサインを交換している。
何かが起きそうである。
ホームベースに向けてカメラを構えた。

 ピッチャーはホームへ投球をした。
と、同時に3塁ランナーはホームへ向かって走り出した。
バッターはそのボールを打った。
ホームスチールである。
打ったボールはセカンド方向に転がった。
2累手はすかさず、そのボールを掴みホームへ投げ返した。
3塁ランナーはホームへ頭から滑り込んだ。
 小さな身体の背番号10を背負うキャプテンがコーチサークルの中で両手を大きく広げている。
審判は、中腰になって右の腕を大きく広げた。
セーフである。

 その瞬間の風景を逃さず、信吾はシャッターを切った。
 貴之達のチームは管内優勝をするのであった。