卒業する信吾 4
                  清水景允


 信吾は『美しい写真を撮る。美しいとは何を意味するのか。見た目に奇麗な写真が美しいのか・・・。今まで、写真を写してきた。しかし、奇麗な写真は写したことが無い。』
先生の話の中から考えるのであった。

 『今まで、心に残った写真はある。例えば、初めて自分で写真を現像した時、現像液の中に祖母の顔が浮かび出て来た時、あの感動は忘れない。
また、初めてカラー写真を自分の手で現像した時、空の色が青く、山の所々、緑の濃淡が鮮やかに現像された、あの写真・・・。人から見れば何も奇麗な写真で無いかもしれない。しかし、自分にとって忘れることの出来ない一枚の写真となった。』

 信吾は考えるのである。
『もしかすると、美しい写真とは、その時の写真を作る(写す)人の心に影響しているので無いだろうか・・・。』
そこのところを先生に話した。
さらに、『その写真を見た人が「美しい」と感じることは、その人の心に訴えるものが、その写真の中に有り、それを呼び起こす写真が美しい写真になるのでないだろうか。
兎角、プロと言われる写真家が居るが、その人の写真は奇麗に写す技術は持っている。しかし、その写真を長く飾ることをしない。せいぜい、カレンダの中の写真を一月位飾ると飽きてしまう。
それに対して、絵画は描く人の心の表現だ。だから、絵画の方が「美しく」見える。』と、写真と絵画の違いを話した。

 信吾のこれらの話を聞いた先生は、「君は、今まで勤めている中から哲学的問題意識の芽生え、科学批判をし哲学の門を叩いたと言ったが、その問題意識は、君の一生の仕事としたら良いよ・・・。」と、言うのである。
その言葉を聞いた、信吾は、中学生の時、世の中を良く見える眼鏡を探す、ことが一生の仕事と心に決めたが、『このことであったのか・・・』と心に刻むのである。

 信吾の卒論テーマは決まった「写真について」であった。 

 その日の東京の気温は37℃であった。