寺田澄子との出会い 4
                      清水景允

 当時、通信教育で大学の課程を卒業するとなると入学者数の一%にも満たないのが現実であった。その理由は、仕事の都合で夏期のスクーリングに出席出来ないこと、自己の綿密な学習計画を建て、実行する精神力の必要性であった。
その意味で、慶応旭川クラブの様な組織が必要で、その組織に所属する事によって、同じ仲間意識が芽生え、共に勉学に励む事が出来るのである。
 高校を卒業し直ちに社会に出た信吾は、工業高校と言う世界の中だけで生活をして居るのであるから、その世界のことしか知らない人間となっているのである。事実、慶応旭川クラブに所属した当初は、堅物の信吾であった。生真面目な上、科学技術は絶対であると言う信念らしきものをかざし、人の話に耳を傾けないところがあった。
そんな信吾が、哲学的問題意識の芽生えから、哲学の門を叩き、工業高校とは異なる世界の人々に出会ったのである。

 信吾にとって寺田澄子との出会いは、慶応旭川クラブの中で大切な人となって行くのであった。
 月に一度の例会では、必ず出席して来る寺田澄子と隣りに席についた。
信吾は「家は何処・・・。」と聞いた。
すると「旭山の裏です。」とかえってきた。
「旭山の裏って、直ぐ裏は豊田だし、その奥には記念坂、更にその奥には瑞穂があるでしょ・・・。」
すると、寺田澄子は「会長さんは、米飯(ペーパン)地区が随分詳しいのですね。」と聞いて来た。
その頃、信吾はカメラを手に旭山の裏手に登り大雪山の遠景を写しに足を運んでいた。また、従兄弟が、ペーパン地区の奥地、瑞穂で農業を営んでいたので、良くバスで瑞穂に春は山菜採り、秋にはキノコ狩りに行っていた。その時から、記念坂から見る大雪山の風景を写真に撮りたいと思っていた。
 信吾は「ペーパンから見る大雪山は素晴らしいね・・・。見る日によっては優しい女性、寺田さんの様にね・・・、見えるし、時には、特に夕方、雲の合間から夕日に照らされて顔を出す大雪山の一部の風景は、優しい母の顔を思い出す。時には雨雲の合間に顔を出す大雪山の左側の愛山渓の山肌は恐ろしい男性の一面を見せる様な姿になる。」
すると、寺田澄子は
「そう、なんです。冬の澄み切った夕方の空に浮かぶ大雪山は、私の心に力を与えてくれるのです。特に、日没直前の夕日に照らされる薄赤く輝く大雪山は、わたしにとって忘れる事が出来ない風景となるのでしょうね・・・。」更に続けて「恐らく、結婚をしてペーパンから離れ、他の地に行っても、あの風景は私の心の古里となるでしょう。」
信吾は合点した。