中学生時代 四
清水景允
屋根裏に上がる階段が必要だ。
階段は台所の天井のベニヤを剥がし、そこに梯子をかけた。
屋根裏は畳三枚位のスペースがあり、そこに、親父が冬の燃料として集めていた垂木を渡し、床を作った。その上に蓙を敷いた。壁は、屋根裏の梁と梁との間に木っ端を打ち付け、そこに新聞紙を小麦粉で作った糊で何枚も重ね張付けた。
四方に壁が出来た。
屋根裏の勉強部屋には天井が無い。直接、屋根に葺いてある柾を止める釘が出ている。頭でも触れると怪我をしてしまう。
屋根裏だから、昼間は屋根の軒の隙間から光が入ってくるから明るい。しかし、夜は暗い。
電灯が必要となる。
電気は、台所の電灯のソケットの二股から引いた。
ベッドも作った。
机は、平らなベッドを二つに分け頭の方を固定せずに、その部分を分解し上に上げると机になる様に設計した。
この様にして、信吾の勉強部屋が出来た。
屋根裏の勉強部屋の冬は寒かった。
暖をとる設備などない。
それで、何枚も重ね着をして寒さに耐えた。
マリーキュウリ(ラジウムの発見でノーベル賞受賞)はポーランドで、冬の寒さを凌ぐために寝る時、ベッドの毛布の上に椅子を載せ、その重みで体温を逃さない様にし、寝ていたことを伝記で読んだことがある。それから比較すると信吾の家には布団がある。どういう訳か、お袋は貧しい家でありながら布団だけは予備があった。その布団を重ねると、マリーキュウリの様なことをしなくても寝ることが出来た。
こうして受験勉強がはじまった。
時期は三年生の冬休みである。入学試験まで三ヶ月を切った。それでも、運送会社のアルバイトは続いた。
信吾は、もし高校に合格したら入学金の一部にしたい気持ちでアルバイトを続けるのであった。
その頃になると、親父の仕事は運送会社の日雇いから常用人負になり、少ないが一定の収入が入る様になっていた。
お袋は、少ない親父の収入で家計を切り盛りしていたが、親父の収入だけでは生活することが出来ず、闇米を、遠くオホーツクの街まで運んでいた。
上の妹は小学校六年生になっており、信吾が家事をする必要がなくなっていた。その分、アルバイトから帰ると、一人夕食をとり、直ちにベッドに入り眠るのである。
家の者が寝る頃、ベッドから出て机を組み立て、受験勉強をする日が続いた。
清水景允
屋根裏に上がる階段が必要だ。
階段は台所の天井のベニヤを剥がし、そこに梯子をかけた。
屋根裏は畳三枚位のスペースがあり、そこに、親父が冬の燃料として集めていた垂木を渡し、床を作った。その上に蓙を敷いた。壁は、屋根裏の梁と梁との間に木っ端を打ち付け、そこに新聞紙を小麦粉で作った糊で何枚も重ね張付けた。
四方に壁が出来た。
屋根裏の勉強部屋には天井が無い。直接、屋根に葺いてある柾を止める釘が出ている。頭でも触れると怪我をしてしまう。
屋根裏だから、昼間は屋根の軒の隙間から光が入ってくるから明るい。しかし、夜は暗い。
電灯が必要となる。
電気は、台所の電灯のソケットの二股から引いた。
ベッドも作った。
机は、平らなベッドを二つに分け頭の方を固定せずに、その部分を分解し上に上げると机になる様に設計した。
この様にして、信吾の勉強部屋が出来た。
屋根裏の勉強部屋の冬は寒かった。
暖をとる設備などない。
それで、何枚も重ね着をして寒さに耐えた。
マリーキュウリ(ラジウムの発見でノーベル賞受賞)はポーランドで、冬の寒さを凌ぐために寝る時、ベッドの毛布の上に椅子を載せ、その重みで体温を逃さない様にし、寝ていたことを伝記で読んだことがある。それから比較すると信吾の家には布団がある。どういう訳か、お袋は貧しい家でありながら布団だけは予備があった。その布団を重ねると、マリーキュウリの様なことをしなくても寝ることが出来た。
こうして受験勉強がはじまった。
時期は三年生の冬休みである。入学試験まで三ヶ月を切った。それでも、運送会社のアルバイトは続いた。
信吾は、もし高校に合格したら入学金の一部にしたい気持ちでアルバイトを続けるのであった。
その頃になると、親父の仕事は運送会社の日雇いから常用人負になり、少ないが一定の収入が入る様になっていた。
お袋は、少ない親父の収入で家計を切り盛りしていたが、親父の収入だけでは生活することが出来ず、闇米を、遠くオホーツクの街まで運んでいた。
上の妹は小学校六年生になっており、信吾が家事をする必要がなくなっていた。その分、アルバイトから帰ると、一人夕食をとり、直ちにベッドに入り眠るのである。
家の者が寝る頃、ベッドから出て机を組み立て、受験勉強をする日が続いた。