中学生時代 三
                   清水景允

 高校受験の願書を提出する時期が近づいた。
親に、高校進学を告げた。
親父は何も言わなかった。
お袋は、「そう・・・。これから、お前が働いてくれるから、家は楽になると思っていたのに・・・。高校に行っても学費は充分に出せないかもしれないが、それでも高校に行くのかい・・・。」と云い、後は言葉がなかった。
信吾は覚悟していた。
「合格したら入学金だけ出してくれ・・・。後は僕が何とかするから。」
と言うことで願書を書くことにした。
 受験希望校は工業高等学校。
信吾にとって当然の選択であった。
中学生の信吾にとって、工業高校はモノを作る事を学ぶ学校であるからだ。
願書の受験志望学科の欄に、第一志望と第二志望の二つある。
迷うこと無く信吾は、第一志望は機械科と記入した。
当時、機械科は受験生にとって憧れの学科で三倍強の倍率であった。
信吾は倍率等考えなかった。
信吾にとって、工業高校への志望の動機は、モノを作ることを最優先し、モノを作る研究が出来る会社に就職することである。それには機械の知識が必要であると考え、それには、機械科しか考えることが出来なかった。
第二志望の欄があった。
そこには、小学校の時の化学の実験を思い出し工業化学科と記入した。倍率は一・九倍と低かった。
 信吾の成績は中学校にはいてから、それ程、勉強はしていなかったが、国語の読解力に群を抜いていた。また、数学に付いては、二次関数、因数分解等は、それほど予習、復習をしなくても理解が出来た。
社会は、歴史が好きで、良くその時代の出来事を空想し楽しんでいた。
 受験勉強がはじまった。
受験勉強と云っても、家には信吾の机等ない。もっぱら、そこにあったお茶箱が信吾の勉強机であった。しかし、一家五人が寝る部屋と居間と台所だけの小さな家である。信吾の勉強部屋など無かった。
そこで、信吾は屋根裏に勉強部屋を作ることにした。