一の3  小学生時代
                         清水景允

 小学五年生になっても、信吾へのいじめは続いた。
信吾は考えるのである。
『この、いじめから抜け出す方法は何か・・・。』
『死んでやったら、いじめられなくなる・・・。しかし、親は、自殺は最も卑怯な者がやることだ・・・と、仏様が言いて居る。と教えられた。卑怯者で死にたくない・・・。』
『そうだ、友達に無いものを俺につければ良い・・・。それは、勉強か・・・。俺は頭が悪い・・・。無理だ。』
信吾の通知箋(学事報告書)には『普通』の欄に丸が多く、『良い』『大変良い』の欄には、丸が一つも無かった。
『俺は、本が好きだ・・・。その本を読んで物知りになりたい・・・。しかし、本を買ってくれなんて親に言えない・・・。自分の力で友達に無いものを自分につけることしかない・・・。それは何か・・・。俺は、工作が好きだ・・・。そうだ、何かを作って、それを見せよう・・・。』
しかし、物を作るのに材料と道具が必要だった。本と同じように親に道具を買ってくれなんて絶対に言えない。家の中に在る道具でモノを作らなければならない。
信吾は、咄嗟に『そうだ、舟を作ろう・・・。』と思った。
 舟を作るには理由があった。
信吾の生まれは、北海道の日本海側の港町留萌である。
第二次大戦後、軍人であった親父は公職追放に合い定職に就くことが出来ず、お袋の出生地である旭川に移住し、その日その日を食いつないでの生活であった。
そんな信吾にとって、留萌港に浮かぶ舟の姿が脳裏に浮かぶのであった。

 『舟を作ろう・・・』もう一つ理由があった。
旭川では見ることの出来ない舟を作って、これが舟だ・・・。と言うことをクラスの人達に見せたかったのである。
信吾へのいじめは続くが、それを無視し舟作りに没頭しはじめた。学校からいち早く帰り、掘建小屋に籠り、木片を家にある出刃包丁で削るのである。
 舟を作っていて、どうしても舳先から左右対称に削りだすことが出来ない。信吾は考えるのである。そこで、気がついたことは、
『そうだ、新聞紙を半分に折ってはさみで切りとり、それを木片の上に広げて、印を付け、その通りに削れば良い・・・。』
小学生の信吾にとって大発見であった。
どういう訳か、貧しい信吾の家ではあるが、親父は新聞だけは講読していた。