私は、川崎市幸区紺屋町というところで生まれました。
母に連れられて隣町の歯医者さん行ったのは、まだ小学生になるまえのことでした。
その丸顔のおじいちゃん先生は、「ぼう(や)、ぼう(や)」と言いながら私の頭をなでて、ニッコリ笑いました。ほんとうにあたたかい笑顔で。あんなあたたかい笑顔は後にも先にもありません。
そして口のなかが、全部、金色に光っていたことも目に焼き付いています。
たしか、小澤先生というお名前でした。
待合室には、おおきな黒い机のようなものが、ありました。
黄色と黒の模様が、並んでいました。
「これは、ピアノというんだよ。象牙のビアノ」そう母が教えてくれました。
最後の治療の翌日に、おじいさん先生が亡くなりました。
(これを書きながら、ああもう、おじいさん先生はいないんだなあと悲しくなってきました)
長じて、テレビを見ていると、ある一家の物語が放送されていました。
親せきから譲られたピアノを運ぶ二人の少年がうつっていました。
「あれは、小澤征爾さんといって、世界的に有名な音楽のひとだよ」
母は、通っていたおじいさん先生の息子さんであることも教えてくれました。
テレビを通してですが、あのピアノとの「再会」でした。
そして、番組のなかで、おじいさん先生とも再会できました。