~人は、誰かにとっての登場人物である~ -3ページ目

~人は、誰かにとっての登場人物である~

不動産会社勤務。仕事中にアパートの孤独死に触れ、
「人は、だれかに影響できる」というシンプルな事実に気付きました。仕事や家庭、その他、登場人物としての日常を、気づきとともに綴ります。

そう
固執を捨て去った

私は
フラットなこころで

右腕も
左腕も
天に突き上げる

鼻から
すーっと
空気を感じ

目に
ひかりをいれる

両足を等しく
うごかして

全身を
バランスよくつかって

歩くのです
その昔

東京から
雑誌の取材に来たという
50代と思しき男性が

「財布をなくした」と
話しかけてきた

そして財布の2,000円を
手渡したことがあった

そう
それは
今より少し
純粋だった
高校生の頃。

結局
彼の正体は
不明のままだったが

お金が
必要だったのだろう。


駅前で
ホームレスに
500円玉を
渡したこともあった

隣にいたサラリーマンが
「500円も渡したの?」
と呆れたように言った


汗臭い
おばあさんだった


ただ
おにぎり代が
欲しいというので

おにぎり
食べてくれって
思った

1日でも
1瞬でも

おばあさんに
エネルギーが
戻ればいいと思った

ただそのとき
できることを
したいと思ったことを
しただけ

だった。

誰が
私を笑うだろう

しかし
そんなことは
問題ではないのだ。
どんなに前向きに
考えようとしても

胸の奥深くで
弱虫君が泣く


知ってるかい

弱虫君は
君の思考が
つくりだした人形なんだ


僕はだめだ
いつも前向きになれない

いつかまた
失敗するだろう


でも君は
知っているはずだ

バレーボールを追いかけたとき
なんのためらいもなく
全力でコートに滑り込んだこと


君は思っていた

「やってやるぜ」

誰よりも練習して
誰よりも上手くなったなって
言わせてやる


そうさ
どんなに

どんなに
どんづまった人にでも

自分の好きなことを
信じてやったことが
あるはずなんだ

考える、を、知る


僕たちはもっと
僕たちの思考の歴史を

探求すると
いいのかもしれないね。