疫病が繰り返し流行っている。
なので、公共交通機関の利用を避けるため、身を守るクルマ(モビルスーツ)が欠かせない。

高齢の母にコロナをうつしたら大変。
どうでもいい理由で旅行に行くのは憚れる。
鉄道や飛行機の利用は、私にとって大変な贅沢(冒険)。

妄想トレインというTV番組がある。
それに更にタイムスリップを加えたような昔の紀行文(随想)を読んでいる。


内田百閒・・・
内田百閒は、元祖「乗り鉄」と評されているらしい。
第一阿房列車、第二阿房列車、第三阿房列車の3冊をAmazonで入手した。
先ず第一から。続刊が無いので、ちびちびと読み進もう。


この紀行文は昭和26年(1951}から小説新潮に連載。
それらをまとめたものが昭和27年6月に「阿房列車」として刊行されたとのこと。

内田百閒は、夏目漱石の弟子、芥川龍之介の先輩。
歴史上の人物。はるか昔の文学者と思っていた。

とはいうものの、百閒は1971年に亡くなっているので、彼の生きた時代は私の人生と少し重なっている。
勿論、不勉強な私は全く知らなかったけれど、新潮文庫が平成15年に、新かな遣いで出版しなければ、間違いなく、鉄ちゃんでもない私が読むこともなかった。

顔写真から想像すると、気難しく頑固そうな作家に違いないと思わせるけれど、年寄りが屁理屈を捏ねながら馬鹿に振る舞うことの楽しさを見せてくれる。

文学者即ち「物知り・ワケ知りのインテリ爺さん」なので、単純な馬鹿のように振る舞えない。

一方で、持っているカバンや靴が貧乏くさい代物では、宿屋の番頭さんや女中さんたちに軽くあしらわられるのを苦にする。
このあたりは日本が豊かだったころのホイチョイ・プロダクションの連中の「馬鹿なフリをしながらの見栄張り」を連想する。

まあ、百閒は読者を喜ばせるために文章を書いているのであって、本人の本当の性格や内面は当然よくわからない。

百閒は、あーでもないこーでもないと妄想をめぐらすことを面白可笑しく書き連ねている。

今の人間にとっては、タイムマシンで昭和25年に連れて行かれたようなもので、鉄ちゃんでは無い私は、鉄道の電化の進展状況、機関車や客車、途中の宿屋、風景など、現在との違いを調べながらでないと、作者の意図を読みそこねてしまう。

なので、読み進むのに結構時間がかかるが、それはありがたいことと思う。
じっくり読もう。