長い歳月が過ぎても 何かがきっかけとなって遥か昔の出来事を鮮明に思い出すことがある。
いい加減な思いで浅はかな行動をとったこと、あるいは逆に勇気が無くて行動しなかったことなど、殆どは自分が未熟で稚拙であったことを後悔することばかり。
今更反省しても全く手遅れなんだけれど...
ここ数年、病気や不慮の事故で既に鬼界に去った先輩や友人の夢をよく見る。
亡くなったYの思い出について話そう。
遥か昔、高校生の時、私はYと同じ部活に所属していた。
私は遠隔地の大学に、Yは地元の大学に進んだことから、高校卒業後はなかなか顔を合わせる機会が無かった。
大学4年生の春、私が実家から大学に戻る際に、偶然、Yと電車の中で出会った。
丸めた図面を大きな紙袋に入れ、吊革につかまっているY。
やあ、久しぶり...で始まる会話。
通勤通学客で満員の電車の中では誰もが沈黙している。
そんな中で話をするのははばかれるが、Yはおかまいなしに自分が専攻している科目やカリキュラムのこと、就職したい業種のこと、将来の夢のことな ど、途切れることなく話し続ける。
私とは専門が異なることから、理解出来ない部分が多々あったけれど、 Yの熱い思いや強い目的意識に感銘を受けた。
私はYの話に気圧され、話に合わせて相槌を打つに過ぎなかった。
しかし、言葉少なく笑みを浮かべているだけの私が逆にYには余裕を持ってス イスイ生きているように見えたのかも知れない。
だからこそ、Yは自分自身もこんなに頑張っているんだと伝えようとしたんだということに、随分後になって気がついた。
私は高3の時に結構深刻な病気で入院手術した。その所為で充分な受験勉強が出来なかった。
運良く地方の国立大学に進むことができたが、大学在学中も病気の再発や転移が心配で未来が見えず、精神的に余裕が無かった。
心の平衡を維持することで精一杯の状態。
やっとの思いで流されるままの人生を送っていただけで、当然Yとは比べるべくもなく、全く情けない有り様。
だから、夢を語り未来を切り開こうとするYと同じ電車の同じ車 両の同じドアに乗り合わせさせるというこの偶然は、神が私への あてつけのために用意したものなんだと信じたくらいだったんだ。
Yと私の就職先とは地理的に遠かったことから、その後、なかなか会う機会に恵まれなかった。
ある時、同窓会が開かれるということで、そのための準備 会議が開催された。
私は「地元に住んでいるのになんで Yは来ないんだ。忙しいのかなあ。」と会議の座長であるHに聞いた。そうしたら、Hの顔がこわばって「あれは事故だ。オレ は葬儀に出席した。あれは事故なんだ。」と言い、それきり押し黙った。知らない方がいいぞという意思表示。私は言葉に詰まった。
[ちゃんとしなくちゃいけない]と私を自覚させたのはYじゃないか。どうしてなんだ。
高校生の時に患った病気は、幸い再発も転移もなく、その後私は家族を持ち、妻子を養い、普通のオッサンとして普通に生きている。流されるままではあるが....
一方、あれだけ力強く夢を語ったYがいないことに胸がキリキリ痛む。
暫く前、あの時のYのように、丸めた図面を大きな紙袋に入れて持ち歩いている大学生を見かけた。
ハツラツとし、しなやかで弾けるような若さ。未来を担う若者たち。夢と希望に満ちている。人生は偶然の積み重ねでしかないが、今を精一杯生きて欲しいと思う。
オッサンの戯言ではあるが....
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