↓のブログ、ほぼ1カ月前に書いてて、その書いてることすら忘れてしまってました。
ちょうど皇室典範改正が決定した時期で、男系固執主義者の不敬な物言いに
怒り心頭だった頃でもあり、その関連で連作で出そうと考えてたところ
時間が経つに連れて、その怒りもフェードアウトしていき
次第に怒る熱量がなくなったので、この書いてたことも忘れてて。
他に書きたいことがいっぱいあるんでね、一つのことに固執してるブログじゃないんで。
昨日、1シリーズ終わられたでしょ、かなりの大編だったものが。
その影響か、今日の2本目、なにを取り上げるか、気持ちが乗らなくて。
で、過去にUPし損なったストックを調べていたらこれが出てきたという次第。
1か月前に書いたものなので、いまこれを書いたとしたら
多少違う内容・印象になってたかもしれないが
だからって読み返して加筆訂正しようとも考えず(要は面倒くさいから)
書き残しておいたそのままを出します。
では、m(_ _)m
副題が「~エネルギー小国の光と影~」
とても興味深くて途中「え~!」と感じた部分を抜粋して紹介したい。
読んでいただきたくて。
戦後の朝鮮戦争特需による復興期から始まり、高度経済成長の影の部分の公害
一番有名な公害といえば「水俣病」で間違いないかと。
水俣病の原因を作った企業といえば「チッソ(日本窒素肥料)」創業は大正
使い道がなかった塩田跡地に地元の熱心な誘致活動から建てられました。
経緯は端折りますが、満州(朝鮮)に進出、かなり羽振りがよかったものの
終戦で施設をそのままに(現・北朝鮮)日本に戻ります。
終戦直後は、これまでの成功体験
(カーバイドから取り出したアセチレンを使ったプラスチックやゴムの生産)
から脱することができず(ナフサなどの石油留分を使う方法が主流になると採算が取れなく中)
そこに現れた救世主となる製品が「オクタノール」
水道管や電線被覆、靴や鞄の合成皮革んど塩化ビニールを柔らかく加工するために
可塑性剤DOPが不可欠チッソはこの可塑性剤の原料となるオクタノールの工業化に
日本で初めて成功、オクタノールは飛ぶように売れて主力製品となります。
がしかし、製造方法にやや問題がありまして、原料のホルムアルデヒドを
アセチレンから水銀触媒を用いて製造する過程で誕生したのが「メチル水銀加工物」
これが工場排水としてそのまま水俣湾の垂れ流したのです。
水俣湾で捕れた魚介類を食べた住民が次々と体の異常をきたすようになり度々
チッソが流す排水が原因と指摘するもチッソは否定、止められなかった元凶は
「チッソ=水俣」な構図だったため、工場を止めた時点で水俣市が成り立たなくなってしまう
事態に陥ること。
水俣病が公害病と認定されたとき、チッソの社長は江頭豊という人物でした。
60年代、チッソの経営が労働争議で混乱するなか、メインバンクの日本興業銀行から送り込まれ
1964年に社長に就任、この江頭豊の孫娘に当たるのが「小和田雅子」さん
言わずと知れた「現・雅子皇后さま」
ちなみに、保守派の文芸評論家の江藤淳氏は、江頭豊の甥にあたるそうです。
も一つ、ちなみついでに「美智子上皇后」もまた、もう一つの水俣病と接点ががあり
新潟水俣病が問題となった時期の昭和電工社長、安西正夫の長男・安西孝之(後の同社取締役)
は、美智子上皇后の妹と結婚していたのです。
姻戚関係だけで責任を論じることはできませんが、も、も一つ付け加えることがありまして…
水俣病が公式確認される1年前の1955年、水俣市の北に位置する熊本県八代市に
松本智津夫という人物が生まれています。
幼い頃から視覚障害があり、盲学校で学んだこの人物は、やがて麻原彰晃を名乗り
オウム真理教を率いて1995年の地下鉄サリン事件など、多くの凶悪事件を起こすことになる。
彼はまた、自らが「神聖法皇」として君臨するオウム国家の樹立を妄想したといわれる。
また麻原には兄弟にも視覚障碍者がいて、水俣病の影響があったのではないかという仮説が
立てられてます(著書:黄泉の犬)より。
真相はわかりませんが、よしんば麻原が水俣病患者だったとして、その罪が軽くなるわけではないが
というものの、少なくとも水俣病の申請をしていたのだとすれば、ここでもまた
思わぬかたちで戦後史の断片が交差していることになるのではないだろうか、m(_ _)m