NHKドラマ:勿忘草の咲く町で 〜安曇野診療記〜の1シーンより | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:山陰本線・東浜駅付近

終末期医療を研修医の目から通して、どう映るのか、どう考えるかと奥深い医療度ドラマ
全8回のうち、7回まで終わり、次回が最終回という…
実にタイミングの悪い紹介の仕方(笑)
というのも、その7話に私の思考テーマである、終末期医療の胃瘻(胃ろう)の是非に
焦点を当てた回でしたので、ドラマ終盤に出たセリフを是非とも知ってもらいたくて。

では参ります、↓

>今回の君の処置は正しかったと思う。
ごはんを食べてもいないのに誤嚥するような人は、胃瘻を作ってもすぐに肺炎になります。
診断としては肺炎ですが、限りなく老衰的な状況でしょう。

この問題に直面した研修医、上司より衝撃な一言を浴びせられます。

>胃瘻を作るか、患者を死なせるか、この二択の問題だ。

この質問に対し、指導医が語ります。

>今の社会は死や病を日常から切り離し、考えるそのものを放棄しています。
家族の問題なのに、どこか他人事で、TVや小説では感動的な死や、劇的な死が描かれる。
だがその一方、汚くて地味な現実の死は、施設や病院に押し込み、黙殺をする。
全て医者に押し付けて見て見ぬふりをしている。

研修医の質問
>そういう人々に対し、医者にできることは何でしょう?

>投げ捨てられてしまった問題を、誰かが正面から受け止めなければならない。
日常的に死を見守ってる我々(医者)がね。


胃瘻(胃ろう)とは、口から栄養を摂れなくなった患者に対し
胃に穴をあけて直接流し込む施術で、本来は疾患で経口で摂れない患者に
完治するまでの期間、一時的に行うものだが、最近では胃瘻と聞くと
誤嚥性肺炎を引き起こしかねない、食べる力を失った高齢者に対しての延命治療の手段
よって、一度胃瘻を作ってしまえば元には戻れないケースがほとんど。

胃瘻の話、これまで何回書いただろうか、なんせ胃瘻が大嫌いなもので
弟には何回も言ってます、仮に私が重篤な状態になっても胃瘻だけは作らせるなと。
人間、口から摂取できなくなったら、それは寿命。
仮に誤嚥性肺炎になろうとも、それは運命として受け入れる覚悟はできているつもり。
カッコつけるつもりはないけれど人間の尊厳・矜持みたいなもんだな。
最期の最後くらいはカッコつけさせてくれ、と。
ポックリ逝きやがった、手がかからんでよかったわと遺族に言わせたい
というのはあります。
「散る桜 残る桜も散る桜」
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」ですわ。

で、胃瘻と同じくらい、オムツを穿くようになったら終わりだと。
それもオムツの中にウ〇コ垂れ流してケツ拭く解除されるようになったら
”人として終わり”だなと。
仮に、それは一時のことで治る可能性、再び自分の足で歩いてトイレで用を足せる
くらい回復するというのであれば、”堪え難きを耐え。忍び難きを忍べる”
恥をかく覚悟もないわけじゃないが、でなければ死ぬまでオムツにウ〇コ垂れ流して生きる
そんな”生き恥”を晒すのは御免被りたいですし、そこまでして生きたいというのはないな。

ま、人それぞれ考え方はあろうかと思いますが、
「どう死にたいか」は「どう生きたいか」だと思うので、自分の終末期はどうするかの
思考は止めることはないですね、m(_ _)m