同級生「B作」突然の訃報に青天の霹靂(スピンオフ、Uさんとの関係編) | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

クリスマスとは全く関係ない、このシリーズ、前回から10日ほど経ち
書いておかないと忘れる恐れがあるからから書いて残すという”自分ファースト企画”
あくまで私の思い出話なので、読んでて面白くないと思いますが…(・・;)

このシリーズに出てくる3人、B作、Aくん、そしてUさんですが
小学生から知ってるのはUさんだけ。
しかし小学校区は違うのに知りあってた、なぜか?

オカンの上司「M上さん」が住んでた集合住宅の数軒隣がUさんちでして
Mさんに同学年の息子がいて、3人とも同じ年だからか、それも数回遊びに行っただけですが。
その「M上さん」ってのが、絵に書いたような昭和の猛烈仕事人間、
全く家庭を顧みなかったせいでバツイチ、それで息子がグレてね。鑑別所入所したくらいの。
同じ中学校になってすぐくらいか「私知ってる?あのときのUです、M上君トコの」
この頃には賃貸集合住宅を出て一軒家建てて、私ん家ともさほど離れてない場所に転居済。
だけど中学時は同じクラスになったこともなく、工業高校も科が違うので別棟だったし。
だけど休憩時間になるとよく遊びに行ってたね、話が合うんで。

ウチに毎日のように来てましたけど(通学路途中なので)Uさん家にもよく行ってました。
〇〇を持ってたこともありましたし、高卒後もオカンが発病する頃まではよくつるんでましたし。

その話はまた次回にでも、まだ続きます。

ここからはもっとスピンオフな話、M上さん。
オカンの会社の上司とはいえ、あくまで他人ですから家を訪問するってことはないはず。
だがある時期、うちによく来るようになった時期がありまして。
オヤジが死んだとき、オカンは40代前半、死んだ直後です、大して用もないのに家に
来るようになったのは。
だが気づかぬうちに来なくなり、あとになってオカンから聞きました。
あの時、未亡人直後のオカンを狙ってたと。
だが、大風呂敷広げて自分を大きく見せようとする見栄っ張り、要はホラ吹きのM上は
前々から好きじゃなかったと。

が、なぜか数年後、ひょんなことから、M上さんと関わる出来事がありまして。
見通しの悪いカーブで正面衝突の事故を起こしまして、どうみたって過失割合は半々だが
全く相手が引かなくて。
よくよく聞いてみると、M上さんが独立(共同経営)して立ち上げた工場の従業員でして
間に立ってもらって丸く収めてもらったことには感謝、m(_ _)m
独立してといえば聞こえはいいがなんてことはない、前の(オカンと一緒の)会社
最終役職は〇〇事業所工場長、不正会計(使い込み)で追い出されたというのが真相。
立ち上げた会社、まだバブルの残り香が残ってた時代、”その時は”調子が良かったらしい。
私も似たような業種、汎用工作機械使って削って溶接して一品物作ってたこともあり
「今だったら部長待遇でどうだ」と、また悪癖の大風呂敷を広げてきた、(-_-;) 
そのことをオカンに話したら当然、猛反対、私もまだ海のものとも山のものともわからん
この先、上手くいくとは到底想像できなかったので丁重にお断りしましたが、
これが後々大正解で。

3年後、噂が溢れ聞こえてきて、実際に見に行ったら工場潰れてました、(-_-;) 
その後、グレてた息子を含めて、M上さんがどうなったかは全く。
ま、年齢が年齢だけに死んてるのは確かかと。

頻繁に家に来てた時、私がアンプを買い替えたってんで、前につかてったSONY製のアンプを
安く譲ったんですよね、いまになって振り返ると、そのSONYのアンプは名機との評判で
手元に置いておけばよかったと、いまになって売ったことを後悔。
売値で買い戻したいくらいで…(-_-;)