
大河ドラマ「べらぼう」が、ちょうどこの時代を描いてますね。
読むにはタイムリーだなと思って借りてきた次第、(^-^)
といってもまだ10代将軍・家治ですが、まもなく家斉に代替わりする時期かと。
でね、これを書くにあたり表紙を拝借しに”尼”に行って検索したのだが、
今回の11代・家斉について書かれた本がほぼないのよ。
とかく評判のいい8代・吉宗から下ると一気に13代・家定~家茂~慶喜と倒幕・明治維新のものは多いんだが。
それはそのまんま評価に繋がってるんでしょうね、書くほどの価値はないと(笑)
先代・家治、世子・家基が急死(劇中では鷹狩り時ですが、死因については諸説あり)
実子がいなくなり、世継ぎは一橋家から出すことになるが、本来だと松平定信ですが
家斉の父・治済がなにがなんでも一橋家から将軍を出したいと、田沼意次らを使って画策
定信を白河松平家に押し込むことに成功すると、自ずと次期将軍は家斉にという目論見ですが
その田沼意次、家斉が将軍に就任するやいなや、田沼は一家もろとも失脚、領地召し上げの憂き目に。
大きくなりすぎた者は肥大化する前に刈り取るということか。
この辺は狡猾なんだが、この家斉、功罪のどちらが比重が大きいか?となると、
書かれた著作の数から見ると明らかで「罪」のほうが多い印象。
「功(エピソード)」には事欠かない人物であるがその1,在任期間は長く、15代の中で一番じゃないかな。
15歳で将軍になり譲位するまで50年!しかも65歳で大御所になっても
12代・家慶に決定権はなく政に口を出す。
誇れるのは50年の在位期間と、なんと作った子が53人!(別名:オットセイ将軍とも)(;゚Д゚)!
ですがこの時代ですから成人になるまでというとかなり数が減っていきますが
それでも各大名家に養子や嫁がせ、将軍家と姻戚を結ぶ体制の強化という点では
功っちゃ功かもしれないが、就任直後は松平定信を使って寛政の改革を進めるも
定信の”クソマジメすぎて融通が効かない”ところが大奥をはじめ幕閣から疎まれ罷免
そこからはタガが外れます。
なにせ父の強い要望でなった将軍職、彼もまた”将軍になりたかっただけの人”
(まるで石破か岸田のようで、歴史は繰り返すってことかな(笑))
自分に課された任務は、一人でも多く世継ぎ候補を作ることだと認識
よって大奥に側室を囲ってはヤりまくるというある意味、羨ましいっちゃ羨ましいんだが(笑)
定信の後任の筆頭老中、水野忠成がポンコツ過ぎた。
なにせ53人も子作りするくらいですから大奥べったりでカネも浪費する。
水野忠成が田沼意次ばりの賂を受けまくり、いや田沼意次以上にカネまみれ。
幕閣で出世しようとなるとまず、江戸町奉行・京都所司代・寺社奉行・勘定奉行などのポストに就き
働きを認められて老中に、ということで田沼意次に口添えを依頼するのだが
数人から頼まれてもポストは一つしかない。
よってカネを受け取っても成就しないと返金するのが田沼の流儀だが、
水野忠成は一度もらった金は返さない(ネコババ)という悪質さでは田沼に及ばない(笑)
家斉もまた失政(どの事件からだったか読んだけど忘れた)を聞かれると我を忘れて狼狽
喚き散らして暴れるなどの奇行から、飢饉や外国船襲来(黒船来航以前に露・や英船が頻繁に出没)
など重大事案を耳に入れない忖度が働くようになるのもまた、愚鈍とのような評価にも繋がる様は
現代の政治にも見られるのもなんとも皮肉なことで、だから歴史に学ぶことが肝要でして。
ちなみにこの後の天保の改革・水野忠邦とは別家で姻戚関係はない。
子が多いというのも痛し痒しで、我が子可愛さに依怙贔屓がまた悪政の元
元々政に興味がなく、大奥に入り浸りで取り巻き(イエスマン)に丸投げですから
黒船来航が倒幕の遠因にはなるが、この頃くらいから”根腐れ”は進行してしまってる印象で
天保の改革などは、時すでに遅しの感も。
ま、普通に考えて、将軍になりたかっただけの人が半世紀も居座ってりゃ、
政治は硬直化・利権化が進む様は、いまの自民党にも通ずるとするは
あまりに穿った見かた、こじつけが過ぎたかな? m(_ _)m