小林よしのりライジング:「被害者側に立たない言論は許されないのか?」
>わしは月に1回「週刊エコノミスト」の巻頭エッセイ『闘論席』を担当しているが、
ここでも「キャンセルカルチャー」に対する批判を書き、「自称・被害者側に立たない」文章を書いた。
ところがこれに編集部から異議が唱えられ、担当編集者や編集長と何度も協議を重ねたものの、
書き直しを余儀なくされてしまった。
『闘論席』を担当して5年以上になるが、そんなケースは今回が初めてである。
で、その改訂版が↓の、掲載された闘論席
最初に書いたボツになった原稿が、↓
>ジャニー喜多川という人物が存在した痕跡まで抹消せよとする「キャンセルカルチャー」は、
次の標的にお笑い芸人・松本人志やプロサッカー選手・伊東純也を選んだ。
しかし、これを煽動している週刊文春や週刊新潮の記事を熟読しても、
彼らのやったことは絶対にレイプではなく、何の犯罪行為でもない。
週刊誌は「レイプ」とも「性犯罪」とも書かず、「性加害」としきりに書いているが、
それは何なのかが問題なのだ。
どうやら、それはセックスを目的とした合コンのことらしいが、
合コンで出会って気に入った男女が即ホテルに行くことなど、膨大にあることだろう。
同意があるなら、それを非難できない。
松本人志ほどの有名人なら、スキャンダル記事を恐れるのは当たり前で、女遊びも難しいのだろう。
「性接待」などと表現しているが、拉致したわけでもなく、女性が拒否できたのなら、犯罪性はない。
人間の下半身の話は醜悪になるのは当たり前で、週刊誌は何ら犯罪にも当たらない、
単なる不良の行儀の悪い遊びを、レトリックで嫌悪感を催す記事に料理しているだけである。
男だろうと、女だろうと、遊びでセックスしている者は多いし、
異性を道具扱いしている女性だって普通にいる。
遊びの性的関係から、ロマンチックな恋愛に発展することもあれば、怨恨が残る関係になることもある。
たとえ遊びの性的関係から怨恨が残ろうと、あくまでも私的な問題であり、
それを週刊誌が社会正義を背負ったかのように書き立てて、
才能ある人物を抹殺するのは社会の損失である。
キャンセルカルチャーを正義とする風潮には、決して与してはならない。
ざっと見回してみて、1/3ほど書き換えられた印象でしょうか?
性を露骨にストレートな表現の箇所が削除されたように感じました。
>合コンで出会って気に入った男女が即ホテルに行くことなど、膨大にあることだろう。
同意があるなら、それを非難できない。
>男だろうと、女だろうと、遊びでセックスしている者は多いし、
異性を道具扱いしている女性だって普通にいる。
遊びの性的関係から、ロマンチックな恋愛に発展することもあれば、怨恨が残る関係になることもある。
特に上記の箇所が編集部に言わせると「被害者」の言い分に配慮していないのがいけないらしい。
特に「異性を道具扱いしている女性だって普通にいる」の表現でしょうか。
それとも”女性もすることはしている”かのような言い回しだと、
”性被害”の話からかけ離れてしまう書きかただから?
私、鈍感だからでしょうか、さほどなんとも思わないのだが、ここであえて
「異性を道具扱いしている女性だって普通にいる」ことを持ち出さなくてもってか?
なんだか編集作業ってのは繊細なんですね。
そうでないと少なくないクレームが押し寄せることを恐れての訂正依頼とか?
なにを恐れてるのか、鈍感な私にはよくわかりませんが、まさか文春に配慮してるわけでもなかろうに。
出版業界ってのは、ウラでは色々と面倒くさい実態があるんでしょうね。m(_ _)m