そのPV数を跳ね上げた「EホバのS人」の過去ブログ、大したこと書いてなかったでしょ(笑)
ニュース見て「商人」だとずっと思ってたら「証人」で、発音のイントネーションが違ってて、
それで間違いが気付いたという内容で、突っ込んだことは書いてませんでした。
現役幹部語る「自浄作用は難しい」エホバの証人弁護団が実態調査(2023年11月20日)
過去に幾度か取り上げたこともあります。
友人S君の家の隣が集会所だとか、頼みもしないのに例の冊子を持って押しかけては
面倒な対応を否が応にもさせられ、あまりにしつこいもんだから玄関先で宗教問答を
仕掛けるも、あいつ等、人の話は一切聞かない話の通じない”アタオカ”だと確信できたこと。
そして最近では「EホバのS人は邪教の中の邪教だが、”旧T一K会”に至っては宗教ですらなく
テロ集団である」と。
あまり触れたくもなかったんですがね(面倒なので)、せっかく巡回して頂けたのですから
言葉のイントネーションだけに逃げないで宗教観を交えてチコッと書いてみようかと。
白状しますと、同じ宗教2世でも”旧T一K会”と違って、輸血されないで死んだ
冷たいようですが「知らんがな!」というのが正直な感想でして・・・
たしかに輸血が可能になって病を克服できるようになったのも現代になってのことで
前時代だと輸血そのものができなかったわけで。
ですがここで言っておきたいのは、伝統と因習は違う。
変わるところは変わって行かないと、単純な話、輸血ってさほど重大に語るべき話なの?
というのが疑問でして、一言一句違うことなく聖書の遵守こそが正義となると
「聖書至上主義」我が子より聖書順守のほうが重いってナニ?
一言で片づけるならば”親ガチャ”ですよ、親ガチャ。
産まれたトコの親が大ハズレだったというのが宗教2世でね。
なんでだろう、世間一般が宗教に関して間違った印象を持ってませんかね?
『熱心な信者だからって幸せになれるとは限らない。むしろ(特に新興宗教では)
不幸になる率のほうが高い」のではないだろうかね。
よって親の信じる宗教がどうしてもイヤなら親子の縁を切る覚悟で
対応するしかないのではないだろうか。
それでしか身を守る術がないような気がしますし、執拗に付きまとわれるなら
ストーカー規制法で、輸血拒否して子が死亡したとなると、なんかあるでしょ、
児童虐待防止だとか、養育責任を放棄したとか、なんなら殺人容疑で親を逮捕とか。
ま、そうするには法整備が必要ではあるんだが、元をただせば親ガチャがハズレたってことなんでね。
それ以前に、輸血させませんでした→子供が死んだが教義を守ったことで神のご加護がって
考えた親がいたとしたら、宗教云々という前に人の親として・人としてどうかしてると思いませんか?
”生まれた家を間違えた”ってことですわ、残酷なようですが。
ただね、宗教2世・山上容疑者の襲撃事件から始まって、「EホバのS人」を含めて新興宗教
などに関した文献・本を読んだり見識を深めてきたこともあるのかな。
養老孟司氏が、故・CWニコルさんから聞いた「日本に住むようになって一番よかったこと」
という問いに対して「宗教から解放されたこと」と答えたことが強く印象に残ったこと
とかを踏まえ、近所の”S価G会員”が言い放った「他仏宗派なんて葬式仏教じゃないか」
との問いの答えが思考の末にやっとおぼろげながら見えてきた気がしてきました。
ひとまず答えが出た私なりの宗教観、「葬式仏教でなにが悪い!」が導き出した私なりの答え。
(^O^)
共産主義では宗教は禁止されてて、その理由が「宗教は麻薬である」と。
毛沢東だったかが言ったこの言葉だが、その側面はあるだろうと。
それに宗教2世の苦悩を見るにつけ、
「宗教を信じれば幸せになれるとは限らない。狂信的になればむしろ不幸になる」との
確信を得、キリスト教信者だったであろうCWニコルさんから、
宗教からの解放という言葉を聞くとね。
ウチ、浄土真宗なんですがつい最近、ガックリきたのが、「靖国神社を認めない」と
浄土真宗総本山HPにそう書いてあり、ここには全く同意できません。
私のとは180°全くの真逆の考えであり、この教義は絶対に受け入れられません。
よって浄土真宗とは檀家であっても距離を置くところの”口実を得た”のかも。
今後あまり深く考えることなく、葬式仏教として割り切っての距離感と
付き合いかたで、この先ずっといきたいと思います。m(_ _)m