橘玲 著 『バカと無知』投票率は低ければ低いほうがいい | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:津山線、建部~福渡駅間にて



先だっての統一地方選挙、岡山県では県議選と津山市議選だけでしたが
例えば市議選、開票結果をみましたが、トップ当選ですと3千票をちょっと超えればいいですし
当落線上でも1200票も獲得できれば当選できます。
そんな市議選であっても、私が投じた1票なんて大した価値もない。
市議選でこれですから国政選挙での私の1票なんてはしたもはした。

で、これも選挙のたびに書いてるんですけど、選挙が終わるたびに行われる
毎度毎度の「1票の格差、違憲裁判」、リベラルのアホさ加減が垣間見えるというもの。
ならば1票の価値が一番あると思われる鳥取辺りの1票を見てみればいい。
そんな過疎地の1票であっても、たいした価値がないことがわかる。
1票足らなかったから落選したとかいう事実、そんなもんはありませんからね。
そんなことよりももっと重大なこと。

そもそも皆さん、1票を投じるのに候補者を選ぶ基準ってどこにあるんでしょう?

>民主政(デモクラシー)では、公正な選挙によって国民の正当な代表が選ばれるが
あらゆる調査において、有権者は投票に必要な基本的な知識を持っていないことが
あきらかになっています。
(中略)日本人のほぼ1/3は、政府の14の省庁の名前を半分もあげられなず、
大半は自分の選挙区の国会議員立候補者についてほとんど」知識を持っていない。
(中略、1票の価値はほぼゼロという前提において)
経済学が予想するように人間が合理的ならば、無価値なことのために
わざわざ投票所に行くはずがない。
それでも有権者の半分は投票に行っている。
(中略)正しい投票のためには、自分がどのような政治を望んでいて
それに対して現状がどうで、各候補者が掲げる政策がどう影響を与えるかを考える必要がある。
「1票の価値はほぼゼロ」なのに、こんな面倒なことをする人がいるだろうか。
(私だな)(^O^)

有権者にとって合理的なのは「棄権」ではなく「候補者について何も知らずに投票する」
ことではないだろうか。
思考の近道で「知り合いから頼まれた」「テレビで見た」「親の代から投票する人を決めている」
などの理由があれば、候補者の選びのコストは大きく下がる。
なぜならその時間は、他のこと(仕事や趣味)に使ったほうが有意義だから。
だとして、有権者が「合理的に無知」だとすると、選挙で正しい選択ができるのだろうか。
(中略)当たり前の話だが、なにも知らずに適当に選んだテレビやパソコンが
自分にとっ最善(に近い)などという都合のいい話があるわけがない。
(中略)有権者の政治的無知こそが、ポピュリズムのちからの源泉。
ならばどうすればよいか。
ひとつだけ確かなのは、無知な投票者が減れば、それだけ「民主的な決定」に近づくということ。
投票率の低下が「民主主義の危機」として憂慮されている。
だが有権者の大半が「合理的に無知」だとすれば、投票率は低ければ低いほどよいということになる。

なぜなら、政治家・政党に投票する明確な理由がある人だけが残るのだから。


なぜそれでも私(自分)は投票に行くか?
それは、投票もしないで「この政策はおかしい」と文句を言うほうがおかしい
というか、そもそも言う資格はないと思うからで、そんな後悔はしたくないので
最低限、この候補はどの政党所属で、政策(マニフェスト)はどうとか
下調べして票を投じることにしています。
”私の1票なんて価値はほぼゼロ”、とても効率的とは言えないのにです。
非効率なのにそこまでしていれる票と、当時日本一投票率が高いといわれた
島根の当時、竹下登氏の選挙区、映し出された映像に、腰が直角に曲がった婆さんが
お隣の婆さんを「自民党に入れに行かなきゃ」と誘う、”無根拠にもほどがある”
その無知さにTVの前でコケましたよ。

そんな婆さんの1票と、考えに考え抜いた私の1票が同じだという認めたくない現実。
非効率であっても、それでも文句を言いたいがために私は候補者を下調べしてから
1票を投じることに、これからもそうしたいし、そうします。m(_ _)m