白井聡著『主権者のいない国』(日本語表現の劣化編) | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:山陰本線・東浜駅付近

上記著作からの丸引用ですが、お読みいただけると嬉しいです。

>作品の享受において、あるいは日常生活においても感情移入そのものが消滅することはない以上
それは複雑な過程を欠いたままなされるほかはない。
ゆえにそこから生じるものは感情が成熟せずに単純化すること、その劣化である。
感情の劣化は、いわゆるネトウヨの増殖といった攻撃的な人格の大量(しかし少数者にすぎない)
発生について、つとに指摘されるが、このような逸脱的な事例と異なり、一見無害なかたちで
はるかに広範囲に広がっている。

例えば、マツコ・デラックスは、ティーンエイジャーのカリスマであるらしい?
西野カナに関して次のような辛辣だが正論と言うほかはない言葉を投げかけている。


>『「ありがとう、君がいてくれて本当によかったよ・・・」なんて詩(中略)を
 どう解釈しろっていうのよ。
 どこに心の機微があるの?(中略)「ありがとう」ということを自分なりの言葉に  
 代えて表現することこそが作詞活動じゃないの?(中略)
 あのボキャブラリーでよく歌詞なんか書こうと思ったものね(中略)
 あんな3歳児でもわかるようなフレーズじゃないと、いまの若い人たちは共感できないの?
 そんなにアタマが悪いの?
 そんなに創造力がないの? ~マツコ・デラックス「世迷いごと」(2010年)』


>(中略)重要なのは「心の機微」と表現が稚拙なのではなく、そもそも「心の機微」が
存在しない、ないものは表現できないということだ。(中略)
昭和から平成にかけてのヒット曲の歌詞を検証してみれば、国民の文芸的リテラシーの
崩壊的低下(3歳児でもわかるようなフレーズの増殖)は明白であると思われるが
それは音楽産業の栄枯盛衰などよりもはるかに重大な事態、すなわち日本人が感情を表現する
能力が低下してきたことではなく、感情そのものの質の低下を示唆するものであろう。(中略)
グローバル化(英語化)のなかで知の媒体としての日本語の衰退する事態であったが、
状況はおそらくより一層深刻である。
「日本語が滅びる」という事態は、日本人の感情の活動そのものが劣化することを意味している。(中略)


以上、今回はやや短めで終わりですが、私心を挟むとしますと
歌詞の稚拙化と音楽業界の栄枯盛衰は、あまり関係がないと思いますね。
音楽って、”歌詞のみで成立しているもの”ではないからね。
楽曲自体のつまらなさと、ここまで単純化するか!?という作り方もあるかと思う。
「Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→サビ」でおわればまだマシなほうで、極端では
”Aメロとサビだけを延々と繰り返すパターン”もあったりで、あまりに売れないものだから
カラオケで歌ってもらって印税でナントカという売り方ではね。(^-^)

そもそも楽曲の単純化を進めると、コード進行も含めてネタとして出尽くし、
「パクった・パクってない論争」でも起きそうな、どこかで聴いた既視感(既聴感)
ばかりでは、わざわざカネ出してまで買おうとはならないしね。(^-^)

売れるのは専ら、過去の作品のベスト盤ばかりだったり・・・m(_ _)m 



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