
ここを上るのだが

登山道でもないな、『登墳道』とでも表現しておきましょうか・・・(^-^)
上ったところで振り返る、昨出の案内所施設を引き(25mmレンズにて)

T字になってる左に少しだけ進む、前方後円墳の『方墳』のほうですね、神社が鎮座してまして

屋根を修復作業中なようだ、前を横切るように道が続いてますが、その行き先はまた後日紹介するとして・・・

解説を読んだ、出入りできて登れる古墳では、ここが日本一の規模のようだ。
そんなデッカイ古墳なのに、ここに埋葬されてる吉備国の豪族の氏(名前)の明記はどこにもない。(-_-;)
これだけの大きい古墳が作れるほどの、大和政権と肩を並べられるほどの力があったのにも関わらず
この吉備国を支配した豪族が何氏なのかがわからない。/(-_-)\
文献・資料がどこにも残ってないんだな、おそらく。
作られた時期が、4~5世紀だというから、「古事記」が書かれる200年ほど前にもなるから
残ってなくとも致し方ないというところか。
そもそも近畿からすると「この吉備の田舎に文字はあっただろうか?」
かりに文字があったとして、読み書きができる人が居たのかどうか?
日本史好きでも、ここまで時代が下がるとサッパリで。(・・;)
次回は、円墳のほうに移動、そこからの眺望(唯一のPRO望遠レンズの出番)です。
m(_ _)m
