簡単に死ぬことを許さない社会は、本当に幸せな社会なのか? | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

九州南部の豪雨、避難指示が出ても99%は逃げなかった大問題


◆西日本豪雨から1年で再び……

途切れることなく次々と現れる「線状降水..........

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少し前の話で恐縮ですが、時間を置いて少し考えてました。

ニュースで聞くに、先週の九州南部の豪雨は尋常じゃない
ように思えたのと同時に、ちょうど去年の今頃はここも
ヤバくて浸かる寸前、岡山南部の倉敷・真備町も水害から
ちょうど一年、追悼式典の様子がニュースで、と同時に・・・

参考にした災害 ↓

九州南部豪雨死者2人に 鹿児島 土砂崩れ住宅に流入

独り暮らしの85歳のおばあさんが生き埋めで犠牲に
避難しなかった判断に賛否両論あるような気がしてるんです。

昔はよく「自宅の畳の上で死ねたら本望だ」と、今でも
そう考える後期高齢者も少なくないと思いますが、現実は
病人のベッドで管だらけにされて延命治療の末のという
ケースがほとんどだと推察します。

で、このおばあさん、ここには書いてないですが足が不自由で
車椅子が手放せずにいたといいます。
仮に大雨の中、人の手を借り、ずぶ濡れになりながら避難場所
へたどり着いた途端、自宅の裏山が崩れて倒壊した
としましょう、とりあえずは生き延びることができたのだが
安住の家を失ったわけだ。
するとその後は仮設住宅に入居することになるだろう、
車椅子生活なのに独りで。

ここで真備町の水害から一年と同時に・・・の続きです。
仮設住宅に入ったはいいが、あと一年で好むと好まざるとに
かかわらず、出ていかなきゃいけない契約になってます。
生き延びたとしても、その後の住まいは自力でなんとか
しなきゃいけない事態に見舞われる。

問題はココ、自宅が再建できるならいいが、そうでない高齢者
独りならなおさらのこと大変だろう。
いや、残りの人生を考えたら「なにも新築しなくても」と
思われる方もいらっしゃるだろうし、かといって高齢者は
部屋を借りるのにも難儀、特養ホームにもそうやすやすと
潜り込めないだろうことぐらいは知ってます。

そこに「避難したところで」と考える後期高齢者がいても
不思議じゃないんだが、片一方で「生き延びることのみが最善」
みたいな報道って、無責任な気がするんです。
じゃあ「その後のケアをしてくれんのかい?」って
んなわきゃないんでね、言い放しです。

今日だったかな、福島での無慈悲なニュースを聞きました。
あれから8年、猶予期間も過ぎ、固定資産税を払えと催促
放射能に汚染され、誰も住めない、誰も欲しいとすら思わない
土地に課税するほどの資産価値があるとは思えないんだが
払えと強要し、仮設住宅も出ていかないなら、これまでの
数倍の家賃を払えと脅迫する自治体。

被災した時点で、死ぬのも地獄なら生きるの地獄
残された時間を考慮し、再びやり直せるなら生き延びるべき
だろうが、体のそこらじゅうにガタがきて、言うことを聞かない
不自由な体で、先の苦難を考えたら、このまま「自宅の畳の上で」
と考えてもやむ無しと思うんです。
実際何事もなく目が醒め、翌朝を迎えることができたらラッキー
土砂崩れに遭ったなら「運がなかったな」いや
「死に時だったのかな」と思えれば、それもヨシかと、
だがこれは決して自殺ではない、絶対に。
もし自分がこのおばあさんと同じ境遇・立場に置かれたなら
こう考えるな、十中八九。
人間にはもれなく寿命ってのがある。
人それぞれ長い短いはあるが、いつかは旅経たなきゃいけない
のが必然で、その人にはその人の『死に時』ってもんがね、
足掻いて生き延びたとしても、生きてても死ぬ以上の苦痛が
待ち構えてると自分は考えます。

「何が何でも生き延びよ」といいながら、その言葉に従って
生き延びたとしても、その後のケア(福祉)は、おざなり、
薄っぺらいヒューマニズムを錦の御旗のように声高に叫ぶ
その様は、あまりに無責任な物言いだし、偽善にしか聞こえない。

ここまで深く考えてはないであろう、被災し犠牲になった85歳の
お婆さんだが、その意志は尊重したい。
あとで救出に駆り出された作業員(人)は大変だったろうが
仮に避難して生き延びたとしても、今度はこのお婆さんが大変
な立場に置かれるのだから・・・m(_ _)m