鉄道ジャーナル・19年1月号「観光列車よ、どこへ行く」 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間



鍋倉紀子氏の「観光列車よ、どこへ行く」タイトルの寄稿文
毎号ではないが、この人の投稿は、なかなかの辛辣ぶりで
ちょっとだけファンかもしれない私。

少子高齢化と定年による大量の退職者の発生によって
鉄道利用者数は、どうあがいても右肩下がりなのを少しでも
食い止めるべく、ローカル線を中心に観光列車がそれこそ”雨後の筍”
のような隆盛ぶりとは裏腹に、一種のブームのような観光列車の
行く末とでもいうんですかね、苦言を呈してらっしゃいます。
あまりに的を得た意見だと思い、少しだけ抜粋し紹介したいと
思います。



列車や駅が沿線のの日常に深く結びついている存在だからこそ
イベントや観光のようなうつろいやすいものでは
根本的な解決にはならないし、列車から沿線や住民の存在が
薄れることは結局、観光にとってもマイナスにしかならないの
である。

遊園地やイベント会場で幼児向けに園内を巡るミニ列車が
走っている。
人気キャラクターが描かれ、楽しい音楽が響き
子どもたちは見た瞬間飛びつき、乗りたいとせがむ。
しかし一周してきた子供が、まだ降りたくないとか
もう一回乗りたいと駄々をこねるのを一度も見たことがない。
子供だって一周乗れば十分だと思う。
観光列車はこの園内列車と同じようなところにいないか。
わかりやすい豪華さや美しいデザインでぱっと一瞬誘い込んでも
列車としての本質が日々の生活という地に足がついたものの上に
しか成り立たない以上、いずれ限界がやってくる。

ただの〇〇として何もせず漠然と平坦な日常を過ごすことは許されない。
△△ができる〇〇として、〇〇でありながら実は□□
マルチで柔軟に時代の先端を行く存在たれ!
そんな焦燥に追い立てられ他人を差し置いてとにかく一歩先
頭一つ出ることを強いられているのは、鉄道ばかりではない。

14時に降園したら遊んで食って寝る以外何もやることがなかった
幼稚園児は今や習い事のはしごに「しまじろう」で大忙し。
中受でもしないかぎり宿題以外の勉強などしなくてよかった公立小の
子供もせっせと塾に通い、大学生は資格取得の専門学校
主婦は兼業で一人前、老人はアンチエイジング・・・。
ただの〇〇として平坦に人生を送っていたら取り残される!
そんな人々が旅や列車に求めるものは、やはり△△できる
実は□□でもある、ただの〇〇ではない〇〇なのだろうか。
いしゃれで高級じゃなくともただの〇〇として何年も何十年も愚直に
ただ本業に明け暮れるだけの存在に、よっぽど強い情景を
抱くのではないか。

列車の内にも外にも特別な何かがなくていい。
変わらぬ姿でいつもと同じ沿線を時間通り走ってほしい。
誰が乗っても誰が降りても、うっかり居眠りしてもほうっておいて
ただきしむ車輪の音だけ、ずっと聞かせてほしい。


いかがでしたでしょうか?
1時間に一本通ればまだいいくらいに過疎ってるローカル線
そこに内外装の豪華な、およそ”場違いのような”観光列車
車内では非日常の、万超えの豪華な料理やスイーツに舌鼓を打ち
宴が進む中、窓一つ隔てられた外界ではいつもと変わらない退屈な
田舎の日常が好き嫌い関わりなく過ぎていくだけ。
年季の入ったローカル車両であろうが、豪華な観光列車であろうが
その窓から見える風景な一緒なはずなんです、見え方(捉え方)は
多少違っても、同じ景色なはずなんです。

なんの変哲もない延々日常のローカル線に、非日常のそれこそ
場違い感の観光列車との乖離、その先に観光列車の未来は?
ってな話なんでが、なんとなく理解していただけたでしょうか?

m(_ _)m