散る桜 残る桜も 散る桜 (場末の鶴山公園編) | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

実はこのネタ、一週間前の鶴山公園の続きなんですけど
ある事情で出し惜しみしてたんですが、やっと蔵出しです。

表題の『散る桜、残る桜も、散る桜』

去年のご近所さんの、あるお通夜に参列した時の法話で
良寛和尚の辞世の句を、この年になって初めて聞かされて
知った次第。

この辺は天台宗か真言宗、または出雲大社の別院があるせいで
この3つの檀家が多くて、臨済宗や曹洞宗は檀家が少なくてレア
↑の法話は(たぶん曹洞宗だったかと)で教えてもらった句。
さほど濃くもないご近所さんの爺さん・婆さんの葬式なので
さほど多く包んで(香典ね)持ってはいかないのですが
せめてもの授業料と思って法話を楽しみにして行くんですけどね、
大抵は数回であったこともある宗派に出くわすために
どこのとは言いませんが(別院(・・;))「またその話?」というが
大半なのですが、「散る桜~」の法話は、すごく腑に落ちて
面白いくらいにすんなりと入ってくるのがわかる。

実にいい喩えの死生観だとね。

ソメイヨシノは散ってしまっていても、種が違うとまだ残ってる
どころか満開の見頃だったりする。

そんな今は満開だとしても、いずれは散っていく運命、
遅かれ早かれね。
人の世もそうで、誰にも等しく一回だけ訪れるもの、
それが「死」ですね。
例えば結婚、運がいい?と一回ならまだしも複数回するヤツも
いれば(たぶん私だが)運悪く?一生涯一度も縁がない人もいる。
だけど、死だけは一回のみで早い遅いなど多少の誤差はあるが
平等に訪れるもの、それが死でして、それを上手に表現している
のが「散る桜~」とてもいい句だと思いまして・・・
咲き誇ってもいずれは・・・

こうなる。(-∧-)

ただし、桜ってのは花が散ったからって死んだわけじゃなくて
これから夏に向けて青々とした葉っぱが勢いを増していくわけで
死ぬどころか活力がみなぎるんだけどね。
それに一年が経てばまた花をつける。
人に輪廻転生ってのがあるのだとしたら、また再生する可能性も
ゼロじゃないんだろうけど、それはさすがに都合良すぎじゃ
ありませんか?っては思いますがね。
あまり信じてないな。(-_-;) 

で、このネタを書くにあたって、リクエストを依頼して
ブロガーさんに書を書いていただきました。


室町時代風に3種類書いていただきまして

段々と崩して草書に

で、やはり最後のがベストだと思うのですが

でもこれ、知ってるから読めるのですが、なんの予備知識もなく
これを見たら、まず読めないですね。
それは「なんでも鑑定団」を毎週観てたらわかります。
明治時代に書かれてた書であっても読めないことが多い。
まだ100年と少ししか経っていないのにです。
字が汚いことにコンプレックスを持ってる私には
楷書で構わんからせめて自分の名前と住所くらいは
ふつうに書けたらとボールペン習字くらいは習おうかと思った事は
ありますけどね、あくまで「思ったこと」ですが・・・(・・;) 

いつもペタをくださり、リクエストで書いてくださった
『高須番長さん』には感謝です。m(_ _)m 
私のお願いのために自分の時間を割いてくださったというのが
恐縮であり有り難いことでして・・・

もう桜の季節も終わりだと思うでしょ?
がしかしです、岡山県内でたぶん一番最後でしょう、まだ満開の
桜の木があるんです。
察しのいい方は気づいてるでしょうがあと一回、
今年最後のサクラはまた後日にでも・・・m(_ _)m