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犠牲者が19人と、近年稀に見る凄惨な事件で衝撃でしたが去年
埼玉は座間市のアノ事件でやや風化した感も無きにしもあらずで
理由ははっきりしている。
事件発生から1年半以上経ったにもかかわらず、起訴はしたものの
一度も公判が開かれていないという、これは異常な状態と言えるの
ではないかと思うんです。
裁判が一度も開かれてないから報道がされることもない、
よって風化する。
もう一つ異様なのは、19人もの犠牲者が出たにもかかわらず
誰一人として名前が公表されていない。
警察がストップをかけたのだが、遺族からも強い希望があったとの
ことですが、その時点でこの19人は最初から存在しなかったことに
されたてしまったということなんだが・・・
障害者という手前、名前を公表するべきだったのか否か
私にも答えが出ないしどっちがよかったのか全くわかりません。
m(_ _)m
ただ一つハッキリしていること、裁判が始まれば死刑判決は確実
だということ。
優生思想などというナチスばりの思考は異常な状態ではあるが
精神異常などでは全くなく、コヤツのパーソナリティ(人格障害)
が異常なのであって、責任能力は十分問えるはずです。
悲劇だったのは、植松被告が能力もないのに教師になることを
望んだこと。
教師を目指すものがタトゥーなど入れません。
入れた時点で本気だったかどうか疑わしいが、教師の夢破れて
その後、養護施設で仕事を始めたことが最大の悲劇。
行かなきゃよかったし、重度の障害者と会わなきゃよかった。
会わなければ、知らずにいたのであれば惨劇を起こすことも
なかった。
養護施設でなにがあったのか、優生思想にハマッたきっかけも
公表されてません(裁判が始まってないので)が、なんとなく
察しはつきますけど・・・
ただね・・・自分の気持に正直に炎上覚悟で白状しますと
優生思想をヒャクパー否定する気持ちまでは持てなくて
ホンの1%ほど同意できてしまう自分がいましてね。(・・;)
例えば配偶者が出産を控え、生前検査っていうんですか?
胎児の状態で自閉症など重篤な欠陥が発見されたとしましょう、
父親である自分は間髪入れずに配偶者に「堕ろして」と
懇願するのは間違いないから。
理由はいくらでも挙げることができます。
カネもかかれば手もかかる、とてもじゃないが自分たちだけでは
手に負えない。
結果、施設などに入れてしまうのは確実ですし、自分らが死んだ後
どうやって生き延びていけるのか?と考えた場合
答えは一つしか出せない。
岡山県ってね、最近までハンセン病患者の隔離施設があったせいも
あって、こういう問題はシビアなんです。
(従兄弟の子供は再従兄弟でしたっけ)ろうあ者がいます。
重低音しか聴き取れないらしいのだが、取り巻きじゃないが
懇意にしている手話が達者なグループもいて、さほど不自由な
こともなく生活してるみたいですし、とあるきっかけで先天性で
左だったか、手首から先が片方ない方と知り合うことがありました。
これまたさほど不自由でもなく、クルマも普通に運転してました
当時岡山市在住の『S藤君』といいまして、障害者手帳保持者です。
その「S藤君」が珍しく怒りが収まらない出来事を聞きまして
何が起きたかと聞くと、
障害者手帳の更新に岡山市役所だったか行った時に応対した担当者から
「あんた、結婚するのは構わんが、子供は作らんとってな、
また片手落ちの子供が生まれたら、かなわんから」と冷たい言葉を
吐かれたと憤っててね、それを聞いた時「また木端役人が!(`Д´) 」
自分も怒りました、かれこれニ十数年近く前の話ですが。
但しこれが重度の障害で24時間つきっきりでないと対応できないと
なったらどうだろう。
だからって植松被告よろしく「重度の障害者はこの世から抹殺すれば
日本はもっとよくある」というのは論外だが、依存し合える社会が
豊かさの尺度としてみることができるのだとすればですよ
このままジリ貧に日本が堕ちていくのだと仮定すれば、誰が担保
するのか?
昨今の日本社会に蔓延する『不寛容さ』(ココからは引用します)
健常者も障害者も、多くの人が「いつか自分が社会にとって不要な
存在になり、排除される恐怖を感じている」ということではないか?
人の価値が労働の対価で測られ、グローバル経済の中でだれもが
厳しい競争にさらされる。
競争に敗れれば次々と「不要」とされる社会構造。
貧富の差が広がり、人工知能(AI)の開発といった技術革新も
従来の仕事を人間から奪っていく。
明日にも自分が価値のない存在とされてしまう不安が広がっていく
社会では、悪意は障害者のような、より不要だと思われている存在
に向かいやすくなる。どのような社会が望ましいのか。
「人と人とが共存しあい、連帯できる社会」
これまでは、重度の障害者は施設に依存するしかなかった。
一方、健常者なら誰にも依存できなかった。
いま、健常者も障害者も同じ不安や恐怖を感じている時代だから
こそ、より人と人との連帯を深めていける可能性がある。
発達障害者や薬物依存症患者らと、生活の困難などを話し合い
お互いに原因や解決法を提示しあって改善を目指す「当事者研究」
に取り組む。
「依存し合える社会」の形を模索していく事が必要と説いています。
が、がですよ・・・先立つものがあっての依存し合える社会の構築
が可能でして・・・
それにこの本のすべてを受け入れるほどの「お人好し」でもないんで
一例をあげると、重度の知的障害者であっても我々家族にとっては
かけがいのない家族としながらも結果、自分らだけでは手に負えず
施設に預けっぱなしで、月に2回ほど面会できれば多いほうみたい
ですが、そりゃどんな手のかかる身内だっても月2回会うくらいで
あればそう思うのも全然不自然じゃない。
毎日顔を突き合わせて24時間の監視と世話で手を取られれば
家族といえど憎悪の対象になるのは自然の理だと思うのだが?
それに自分ら両親が死んだ後、預けっぱなしにしてしまうのは
間違いなく、自分だったらそれをどう考えるのか?
申し訳なく後ろ髪をひかれる思いで死んでいくのかなあと・・・
この事件、優生思想は悪と言いながら、それだけではない根深い問題
どこか哲学が必要な感じもする事件ではなかったかと。
裁判も開かれてない現状では風化してしまってるのも仕方がないに
せよ、風化させちゃいかんとも考えるわけです・・・m(_ _)m
