””坂口安吾 著 『新堕落論』”” | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間




続きにしたかったので、引き続きリブログにしました。

新堕落論、今回で完結です。


>(略)
天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ
残って作用するかぎり、日本に人間の、人性の正しい開花は
のぞむことができないのだ。
(略)
天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、かかるもろもろの
ニセの着物を剥ぎ取り裸となり、ともかく人間となって出発し
直す必要がある、
さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかり
ではないか。
まず裸となり、とらわれたるタブーを捨て己の声を求めよ。


原始人の生活においては、家庭というものは確立しておらず
多夫多妻野合であり、嫉妬もすくなく、個の対立というものは
きわめて希薄だ。
文化のすすにつれて家庭の姿は明確になり、個の対立は
激化し、先鋭化する一方なのである。
この人間の対立、この基本的な最大の深淵を忘れて対立感情
を論じ、世界聯邦(れんほう)論を唱え、人間の幸福を論じて
それが何のマジナイになるというのか。
家庭の対立、個人の対立、これを忘れて人間の幸福を論ずるなど
とは馬鹿げきった話であり、しかして、政治というものは元来
こういうものなのである。
共産主義も要するに世界聯邦論の一つであるが~(略)
政治は人間に、また人性にふれることは不可能なのだ。

あの戦争の最中、東京の人たちの大半は家を焼かれ
壕に住み雨に濡れ、行きたくても行き場がないとこぼしていたが
そういう人もいたかもしれぬがしかし、この生活に妙な落ち着きと
決別しがたい愛情を感じた人間も少なくなかったはずで
雨には濡れ、爆撃にはビクビクしながら、その毎日を結構楽しみ
はじめていたオプチミストが少なくなかった。(略)

生々流転。無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生
などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対普遍の制度だの
永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどナンセンスに
すぎない。
無限または永遠の時間に対して、その人間の進化に対して
恐るべき冒涜ではないか。
我々のなしうることは、ただ少しずつよくなれということで
人間の堕落の限界も実は案外、その程度でしかありえない。
人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。
何物かカラクリにたよって落下を食い止めずにいられなくなる
だろう。
そのカラクリを作り、そのカラクリを崩し、そして人間はすすむ。
堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は
まず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。(以下、省略)

完   m(_ _)m