坂口安吾 著 『新堕落論』 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間


昨日、少しだけ触れましたが、コチラのほうが読んでて
とっても腑に落ちて面白かった。
私の拙い『ツーフィンガーのタイピング』では丸写しするのも
大変でしたが、あと3回に分けて引用して貼っつけます。
ということで、昨日の続きです。


>大化改新以来、農村文化とは脱税を案出する不撓不屈の精神で
浮浪人となって脱税し、戸籍をごまかして脱税し、そして彼ら
農民たちの小さな個々の悪戦苦闘の脱税行為が実は日本経済の
結び目であり、それによって荘園が起こり、荘園が栄え、荘園が増え
貴族が滅びて武士が興った。
農民たちの税との戦い、その不撓不屈の脱税行為によって
日本の政治が変動し、日本の歴史が移り変わっている。
人を見たら泥棒と思えというのが王朝の農村精神であり
事実群盗横行し~(略)~
他への不信、排他精神というものは農村の魂であった。
彼らは常に受け身である。
自分の方からこうしたいとは言わず、また言い得ない。
その代わり押し付けられた事柄を彼は独特のずるさによって
処理しておるので、、そしてその受け身のずるさが孜々として
日本の歴史を動かしてきた。

日本の農村は今日においてもなお奈良朝の農村である。(略)
損得という利害の打算が生活の根底で、より高い精神への渇望
自我の内省と他の発見は農村の精神に見い出すことはできない。
他の発見のないところに真実の文化がありうるべきはずがない。
自我の省察のないところに文化のありうるべきはずはない。

農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。
乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。
必要は発明の母という。
乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに
発明が起こり、文化が起こり、進歩が行われてくるものである。
日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず
肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず
根底的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残きまわる
大敗北となっている。
日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず
進歩を欲せず、憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現れ
いでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて
常に過去へ引き戻されてしまうのである。

必要を求める精神をナマクラの精神などと言い、耐乏を美徳と称す。
機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。
すべてがあべこべなのだ。真理は偽らざるものである。
すなわち真理によって復讐せられ、肉体の勤労にたより
耐乏の精神によって今日亡国の悲運を招いたではないか。
ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを
一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと
馬鹿げた話である。
しかも日本全体が、日本の根底そのものが、かくのごとく
馬鹿げきっているのだ。

続きます・・・m(_ _)m