坂口安吾 著 『堕落論』 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
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撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間



先日、少しだけ触れました。
買っただけで未読、その本も家探しするも行方不明のまま
しかたなく図書館から借りてきたという。
想像以上に痛快、もっと早く読んでいればと後悔
その痛快と思った部分を一部引用しようと思いまして。
私がグダグダ感想を書いたところで、文章力の欠如から理解不能
だろうと想像できるので、では・・・

歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。
生きるということは実に唯一の不思議である。
六十七十の将軍たちが切腹もせず轡を並べて法定にひかれるなど
とは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け
そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母胎によって
始めて人間が誕生したのだ。(略)

戦争がどんんいすさましい破壊と運命をもって向かうにしても
人間自体をどうなしうるものでもない。戦争は終わった。(略)

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。
人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。
なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではありえない。
人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが
堕ちぬくためには弱すぎる。(略)


実は、この続きといますか、翌年に書かれた『続堕落論』の
ほうが秀逸に感じ、こちらのほうが痛快でした。
終戦直後に書かれたにも関わらず、今にも十分通用する「OO論」
その部分を少しだけ

>農村文化というけれども、そもそも農村に文化はあるか。
盆踊りだのお祭り礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神は
あるかもしれぬが、文化の本質は進歩ということで
農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。
あるものは排他精神と、他へ対する不信、疑り深い魂だけで
損得の執拗な計算が発達しているだけである。
農村は淳朴だという奇妙な言葉が無反省に使用されてきたものだが
元来農村はその成立の始めから淳朴などという性格はなかった。

以下、続きは後日にでも・・・m(_ _)m