糸崎より西へ一つ先の三原駅、訪問は2回め
十年と少し前、広島からの帰り、時間が押していたため
ホンの少しだけ立ち寄っただけなんですが、その時も同じ理由で
立ち寄りました。 三原駅正面 ↓
駅の北口に出ると・・・
隆景公園、石垣を下から見上げる公園へ
好きな戦国武将の一人が『小早川隆景』三原城は晩年に過ごした居城
息子の「小早川秀秋」のほうが。関ヶ原で裏切った武将として有名
なんだろうが、隆景の実子でもなければ、知将としては黒田官兵衛
よりも上だと思ってます。
豊臣秀頼が生まれたことで’不要’となったために、
強固な毛利両川体制を崩すため?に「毛利輝元に養子へ」との要請を
やんわりと断る口実で、実子のいなかった隆景が「ウチの養子へ」と
いうことで迎え入れたのだが、この時には小早川家断絶も念頭に
あった?かもしれないな。
彼があと3年、関が原合戦まで生き延びていたら、
毛利輝元が安国寺恵瓊にほだされて西軍の総大将に自ら進んで
はしごを登っていくような愚挙をすることはなかっただろうし・・・
歴史は変わってただろうね、120万石から周防長門30万石に
押し込められてしまってね・・・
ヘタすると改易&所領全没収もありえたところが、さすがの家康も
『デカすぎて潰せなかった』ということか・・・?
ま、その長年の蓄積した鬱憤が幕末へ突き進ませたということも
言えなくもないのだが・・・m(_ _)m




