歩いて散策するにはちょうどいい広さですね。
雑草もなくて、よく手入れがされてますので芝もきれいです。
政治の話も飽きてきたところですし、ホントは歴史の話をしてる
ほうがテンションがあがるんですけどね。ヽ(・∀・)ノ
展示してあった、高松城水攻め時の布陣図
コレを見れば一目瞭然、この写真でも少し見にくいですが
北側は山を背にしているので、南側だけに堤防を築いて水浸しに
とても効率がいい。
東端から弟・秀長、黒田官兵衛、蜂須賀、浅野、北側に宇喜多勢
西端には加藤清正、堤の南側に山内一豊と宇喜多家臣の花房氏が
出張って最前線のように見えますが、足守川挟んでの対峙ですので
安易に手を出しては来られないというか、こうもスキ無く羽柴勢に
囲まれては、2万を超える毛利軍をもってしても攻めきれないですね。
指を咥えてみてるしかないというのが実情。
結果、清水宗治が切腹することで和睦、直ちに明智光秀を討つために
引き返すことになります。
本丸跡にある、清水宗治の首塚
首級(しるし)は、実検の後、秀吉が持ち帰ったを聞いた?
んだけど、そんなんの持って帰ってどうすんの?って・・・
置いてったのか?
首塚ってことは、ここに葬られたってことかな?
詳しいことは資料館に書いてあったような気がしましたが
スンマセン、忘れました・・・m(_ _)m
ここの高松城跡はコレにて終了ですが、蛙ケ鼻という場所に当時の
堤の一部が残されているということなので、そちらに行って
このシリーズは次回で終了ということで・・・m(_ _)m



