戦前生まれの遺言・保阪正康(昭和史研究科)編 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

江戸時代の軍事に学べ

昭和史の研究とは戦争の歴史を知ることですが、調べるほど
当時の日本は軍事学や軍事論を持っていないことがわかります。
その欠如のせいで、戦争に失敗したのです。
例えば、アメリカの軍事学で重要なのは、自国に指一本でも触れたら
絶対に許さないという姿勢です。
真珠湾も、9.11のテロに対してもそうでした。
フランスは直線的に領土を拡大する戦略と戦術でした。
明治新政府は当初、フランスの軍事学の導入を考えますが
日本には合わず、ドイツからメッケルを呼んで陸軍大学校の教官に
しました。
皇帝のために参謀が率先して命を捧げることが名誉というドイツ式が
日本に向いていると考えられた。
明治十五年に軍人勅諭を出し、日本の軍隊は天皇に忠誠を誓います。

しかし昭和になって軍官僚は思想や哲学の確立を一方的に兵士たち
に求めるようになります。
それが昭和十六年の戦陣訓です。「勝つことが天皇へのご奉公」
「勝つまで戦え」という方向だけで突き進む。
軍事学とは呼べるような代物ではありません。
惨状に歯止めをかけることもできなかった。
勝つほかに戦争を終わらせる方法すらわからなかったのです。
参謀も自らは死なず、兵士に死ぬことを求め、玉砕や特攻
本土決戦という無責任な発想が生まれた。
狂気の沙汰でしかありません。

では、それ以前の日本に軍事学はなかったのか。
江戸時代にはありました。
二百六十余の藩は、それぞれ密貿易で財を蓄えたり
武器を調達して隠し、幕府の内情を探りながら密偵に備える
インテリジェンスの行っていました。
有事を想定しつつ、生き残ろための軍事学を練ったのです。
幕府側にしても、二百五十年以上にわたって内戦も対外戦争も
なかった政策は、高く評価されるべきです。

私は、いまの日本は軍隊を持たざる得ないと思うけれど
「日本の軍隊はこうあるべきだ」という軍事学なしに
安保関連法などの整備ばかり進んでいくのはきわめて危ない。
だから「江戸時代を範としよう。戦わないための軍事学を学び
直そう」と言うわけです。
日本の歴史の中には、日本の英知が詰まっているのです。