『日本人カメラマンが見た幕末明治』 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間


幕末には、カメラが持ち込まれてたので著名人や志士の写真が
結構な数が残されてて、その元祖は、やはり長崎ですか・・・

写真には現像などに使う薬品などの知識が必要ってなことで
医師が多いということもありますし、その中でも草分け的存在の
写真技師といえば、坂本龍馬のいちばん有名な写真を撮った
『上野彦馬』でしょうか・・・

で、幕末写真で個人的に好きなのが・・・↓

幕末にもこんな美人がいたってことにチョット驚き、(・・;) 
「SSK希とHJMなみと足しで2で割った」ような。
当然、圧化粧も整形もなしの時代にこの仕上がりですからね。

有力な藩主の援助の下、技術を身に着けた技師もいましたし
藩主自ら写真に没頭する、将軍職を降りてからの徳川慶喜公や
元・尾張藩主『徳川慶喜公』みたいな人もいて
その晩年の本人の集合写真がなんとも・・・

左から松平定敬(元・桑名藩主)
   松平容保(元・会津藩主)
   徳川茂徳(一橋家当主)
   徳川慶勝(元・尾張藩主)高須・松平家出身の四兄弟

鳥羽・伏見の戦い時、尾張・義勝は素早く新政府軍支持を表明
幕府側に付いて新政府軍と戦った定敬と容保とは兄弟でありながら
敵味方で対立、新政府樹立時にはわだかまりがあったのは当然で
しょうが年月が経ち、晩年の義勝が呼びかけて撮られた最初で最後の
兄弟での集合写真、これが撮られた数年後、最年長・義勝が没して
ますから、どこか思うところがあったからこその一枚だったんで
しょうな。m(_ _)m