石飛幸三 著 『平穏死」という選択 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間


最初から最後まで一々納得するというか同意なんだよね。
図書館で借りた本だけどコレ、バイブルにしてもいいくらいで
買い直して常備しても良いのかなというくらいに納得させられる
良書だと感じました。

最近の「SAPIO」連載に『尊厳死先進国』のスイス現地リポが連載
されてるんだけど、なんとビックリ順番待ちで3年だって!(;゚Д゚)!
もう一つビックリしたのが、脚本家・H田S賀子が終活に入り
身の回りのものを処分して身軽に、そして単身スイスに渡って
尊厳死を受けるのを画策しているのだとか・・
なにもそこまでしなくてもと思うんですが、これまで度々こういう話を
何回かしてきたのですが、SAPIOの連載を読んで考えが変わったこと、

「尊厳死は違うな」
薬物を注入してまでの『死に急ぐ』のは、なんか違和感がある。
著書のような自然死・平穏死のほうがしっくりくるね。
自然に任せる、食べられなくなったらそこで終わり、即ち寿命なんだな。
だけども現状では、延命治療が不可能だった時代の法律がそのまま適用
されるために、助けられるものを助けなかったがために医者であれ
殺人罪が適応されるのを嫌い、ホントに患者のためになっているかは
二の次で胃ろうを造成される。
胃ろうは胃ろうで管理が割りと大変だって。
本人の意志に関係なく、栄養剤の注入が可能なわけでして
人間ってよくしたもんで、体が欲してる必要以上に入れてしまうと
それはそれでまた違う病気に罹るんで、逆にカロリーを摂らせないほうが
体調が良かったりして・・・

驚いたことは、つい最近まで死亡診断書に「老衰」と記載しても
受け付けてもらえないことが続いたんだって。
理由は『老衰は病名ではない』からだってさ。(-_-;) 

あまりに書きたいことが多すぎて、ダラダラ書いてみても詮無いので
一番驚いた、知ってそうで知らないことだけをかい摘んで。

「医療」と「介護」は別のもの。
介護施設で医者が入居者を診ても点数にならない。
請求できないんですって、「医療行為ではない」からで、
そうなったのは介護保険が導入されてから『医療と介護の縦割り行政』
になってしまってる。
なので著者のように、特養ホーム施設で医師が常勤している施設は稀で
大抵は特養に医師はいません。
巡回・持ち回りで週1回前後、診察に訪れるくらいなのだが
それのどこが問題か? 一番は

特養ホーム内で死ぬことが許されないこと。
死亡診断ができない、ということは死亡診断書が書けない。
するとどうなるか?
死亡から24時間以内に死亡診断書を書いてもらわないと事件化扱い
される可能性が出てきてしまうこと。
死亡診断書を書いてもらえる医師を、24時間内に探し出す作業に追われ
じゃあ、巡回してる医師に頼めば?ってことになるのだが、
その医師だってずっと診てるわけじゃないから、死因に「この病名で」
とはいかないケースが出てしまう。
それだって、遺体を救急車に乗せて走ることになるので、まず隊員が嫌う。
救える人を運ぶのが救急隊員の本分だからで、24時間を超えてしまうと
監察医の領域になり、死因特定の解剖までいってしまうこともあると。
終末の状況を看取った介護士なり看護師の証言だけではダメだという。
臨終時に医師が立ち会っていないことが問題なんだという。

医師が常駐していない特養内では死ぬことができない。(らしい)
これは知っておいて損はないかと。

コレもね、実は厚労省から、お達しが出てるんだけど、
24時間以内に警察に届け出が遅れても、日頃診察に当たってる医師が
診断書を書けば問題にしない、とするも、きらう医師はいるかもね。
胃ろうだって、オカシイと思いながらもツッコまれないよう保身のために
施す医師が少なくないのが現実だから。
一刻も早い、現状に即した法改正を希望します。

後日また思い出したら、続きを書くかもしれませんが
最後に印象に残った一言で締めようと、ハリソン内科教科書の一節

『死を迎える人は、命を終えようとしているから食べないのだ。
 食べないから死ぬのではない。』 m(_ _)m