岡本茂樹 著 『反省させると犯罪者になります』 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間


なんとも挑発的な表題です。
「バカの壁」みたいなウケ狙いというか、つかみには十分?
そういう私も、引っかかったクチです。(-_-;)
半信半疑どころか、九分九厘疑いの目で「さあツッコむぞ」満々で
読み始めましたが、序盤で腑に落ちてしまいました。(・・;) 

刑務所で決められた量刑通り、刑務を果たしたところで
あれは反省したことにはならないと思う。
ただ仕事をこなしただけで、再犯率も高止まりで再入所も珍しいことじゃ
ないのがその証拠。
それどころか、刑務所に入ったら、もっと悪化すると著者は斬って捨てる。
なぜなら私語は禁止、自分を表現することは懲罰の対象とすると
自分を偽り、反省してると『模範生を演じる』ことで刑期だって短くなる
ことだってありうるのだから、殻に閉じこもることが刑務所腕の
生活では最優先されるから。

やはりね、一言で反省って言いますけど、真の反省って難しい。
なにが難しいって、ホントに心からの反省なのか、その見極めがです。
パット見、よく出来た反省・反省文ありますよね?
よくよく見てみると、あまりに出来過ぎというか、杓子定規な理想形
の反省文なんて、全く心がこもってないと思ったことないですかね?
何回も反省を促すと、アレぐらいの文章は誰でも書けるように
なるようです。練習・学習してしまうみたいです。
そんな文章を何回書いたところで反省とは程遠い。
なぜなら反省はしてないから。「こう書けば納得するんやろ」
みたいなものですよ、演じとるだけなんです。
そこに気が付かないと。(-∧-)

最初に「被害者の側に立って」ってやるのが良くないという。
それこそが、杓子定規の反省文の元凶だって。
まずは「加害者(自分)の側」から考えさせる、そのことによって
自分の心の闇、暗部を語らせることで一緒になって考え、共感の後
そこから初めて被害者の側を考えさせるようにするんだって。

例えば殺人の半数以上が身内・近親者だったりする。
その場合、被害者にも恨まれるだけの原因があったはずとし、
忌憚なく吐露させることで、わだかまりを捨てさせることで
反省を促す。
他者を大切にしない人間は、自分を大切に出来ない、ナゼ出来ないか?
親から大切にされないで育った、必要以上の躾があった、暴力を振られ
ながら育った、逆に育児放棄に遭い、愛情を受けてこなかったとか・・・
幼児虐待するヤツは、自分が幼少期に受けて繰り返しただけとかね。

あの~、だからといって心に傷のある犯罪者は放免しろって
言ってるわけじゃないですからね。(・・;) 

たまたまTVで、大阪での育児放棄からの我が子殺人の母親の事件を
やってまして、この母親の生い立ちを聞くと、まさにそのとおりでして
自分がされたことを子供にしたまでのこと。
そして共通するのは、極度に大人を振る舞おうとする結果、未成年からの
飲酒喫煙、エスカレートしての薬物や覚醒剤の乱用。
前出の母親のような、決して弱音を吐かない・人を頼りに・相談しない
タイプ。
結果、自分だけではどうしようもなく、持て余して最悪のケースに陥る
とかね。

もっと端的に表すと『自分を偽らない』ってことみたい。
カッコを付けない・強がらない・知ったかぶりをしない・出来ないことは
出来ないという・自分を飾らない、というのが肝要みたいです。