この記事で気が付いた、そういえば最近見かけてない・・ | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間

霊きゅう車をネット競売 京都・与謝野町、「宮型」需要減り
言われて気がついた、最近このテの霊柩車、見かけなくなったでしょ?

お葬式に参列しても、このテの『宮型』っていうんだってね、
ここら辺りも走っていないです、『洋型』飾り気のないスッキリとした
ただ、後部に棺桶が搭載できるタイプばかり見るようになりました。
因みに、母親の時に乗せたのは、キンキラキン出ないタイプの『宮型』
でして、十数年前にはまだありました。
この記事で、どうにも引っかかったところ

>明らかに死を意識させる宮型は次第に忌避され、
 火葬場や住宅街への出入りを禁止する地域もある。

ココですよ、ココ、出入りを禁止する地域もある、ってトコ。
あまりに『人の死ってものを穢れたもの・忌み嫌う』ってとこがね、
昔からそういう風習があることも理解してます、してますが、
たとえ、赤の他人だったとしても「人は死んだら仏になる」って
いう考え方もある、それが『死刑囚』だったとしてもです。

男だろうが女だろうが、上級国民だろうが下級国民だろうが
誰の身にも、一律平等に訪れるのが『死』なんでね、
それを必要以上に忌み嫌う感覚ってのが、私にはどうにもしっくり
こない。
いくら避けようとも遠ざけようとも、必ず一階は自分の身にも
訪れるもの、それを受け入れられない人間ってたぶん
自分に死が訪れるなんてことは考えないようにしているとしか
思えないんですよね。

多少偏見が混じっていると思われるかもしれませんが、そんな人が
霊柩車を見る目って、
「2日も経てば臭い匂いを発し、腐っていく汚い死体を運んでいる車」
って思ってませんかね?
いい人に見られたいわけではないですが、そういう見方は一度もした
ことはないですね。
どんな人れあれ、その人それぞれに『人生・生きた証』があったはずで
そこにおいては、人間の尊厳ってのを意識してみるようにしてます。
でないと、失礼なような気がして。

最近は、世知辛い事件が多すぎます。
殺人事件も昔に比べて減ってきているとはいえ、被害者と加害者の
関係って「身内・親族」が圧倒的に多いんだそうです。
親が子を、子が親を、夫が妻を、またその逆も・・・
人ってね、ホント簡単に死んでしまうモンだってことを
知らない・体感してないから簡単に事に及ぶ気がしています。
核家族化ということもあるだろうし、高齢者と生活をともにしてない
世帯が多いから余計に『人の死ってものが身近になさすぎて、
どっか遠い所の出来事・お話』って考えているんじゃないかと・・・
たぶんね、いままで生きてきて一度も死体ってのを見たことがない人も
結構な数いるんじゃないかとも思うんですね。
日常生活から死ってものを切り離しすぎてる、若しくは隠して見たく
ないものは見ないようにしている、考えたくないことを考えないように
している。
なので、嫌が応にも自分が死に向き合わされた時『往生際が悪い』
いつのまにか『死にたくても自分の勝手では死ねない世界』に
なっている(NHKドラマ「破裂」から拝借しました)と思うのです。

(-_-;)