前回から、かなり間が空きましたね、ネタに困らなかった日が
多かったので、久しぶりの話の続きです。
おじいちゃんは簡易郵便局の局長と紹介しました。
なので、ご近所の家族構成などは、まるわかりなんですね。
ウチから、かなり北に上がった山ん中のど田舎の
『S家の三姉妹の末っ子・M子』が、私のオカンです。
おじいちゃんが目をつけたそうです。
実家を出てオヤジと一緒の大阪に出ていたということもあり
三顧の礼でしつこいくらい頼み込んだそうです「長男の嫁に」って、
オカンの実家では、最初は反対していたそうです。
理由は勿論『おじいちゃんの素行の問題』ややこしい家庭の事情
なんだそうですが、前出の理由の「オヤジのタイムリーの職種」が
決め手になったとオカンが教えてくれました。
おじいちゃんとはね、まともにコミュニケーションがとれたのって
一回しか記憶が無いんです。
その貴重な一回、新幹線が岡山まで開通した直後ぐらい、
初めて新幹線に乗せてもらった時の思い出、それ一回きりです。
それだって、何を話したかは全く覚えてない、5歳になったか
ならないかぐらいでしたので・・・
おじいちゃんの笑顔ときれいな車内、すごいスピードで流れていく
景色ぐらいしか覚えてはいないんですが、なぜかその時の映像だけ
鮮明に覚えているんですね。
次におじいちゃんに会った記憶は、変わり果てた姿でした。
病院のガラスの向こう側、酸素マスクをつけられ別途の上で仰向けに
微動だにしない集中治療中のおじいちゃんの姿でした。
そう、卒中で倒れ右半身と呂律がまわらない不自由になってしまい、
まともに会話もできなくなってしまったので、健康な姿の記憶は
新幹線の時だけなんですね。
小学校に上る前の出来事、おばあちゃんは一緒になって10年も経って
いないそんな時でして、その後の生活は、おじいちゃんが亡くなるまで
あと10年、介護に明け暮れる毎日の始まりでした。
つづく・・・m(_ _)m