『江戸大名廃絶物語』 | 国道179号沿線住民とっ散らかりブログ

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楽器もできない音楽好きのおっさんが
中坊並みの文章力で書いてるブログ。
撮影地:若桜鉄道、八頭高校前~因幡船岡駅間


約260年ものあいだ続いた江戸時代に、いくつの大名(お家)が
断絶・廃嫡・改易の憂き目にあったか・・
それというのも関ヶ原の戦い時、秀忠軍が間に合わず
仕方なく西国大名に頼ることで大阪以西の領地がほとんど外様に
与えざる得ないことで、徳川幕府も盤石とはいえなくなってきた。
そこで武家諸法度、禁中並公家諸法度を制定、三代家光の時代に
ほぼ完成させる。
改易の理由はいろいろ、お家騒動に職務怠慢、当主がバカタレだったり
中には因縁まがいの理由で領地を没収し、身内(松平家)に集中
徳川政権を少しでも盤石にするといったもの。

東軍に味方した豊臣方の武将、福島正則を筆頭に
加藤清正、加藤嘉明は息子の代で改易、理由も結構些細であった
ことが多いのだが、そこを幕府は突いてきた。
せっかく味方して勝たしたというのにです。
徳川にというより三成憎しの感情が勝ったのが理由でしょうが・・

改易・領地没収も外様にかぎらず徳川側近も憂き目に合う。
家康不遇時代の名門の家臣、本多、大久保も息子の代で
初期の幕閣に名を連ねる、酒井・堀田に石川もですが
それ以上に身内の松平からも数家、有名なのは将軍家光の実弟「忠長」
は、自害にまで追い込まれる、切腹に近いものだと思いますが。

各大名は戦々恐々としていたと思います。
ほんの些細なほころびから領地没収にまで追い込まれるのですから。
奥の細道で有名な松尾芭蕉の本性は幕府方の隠密という噂まで
ありましたし。
幕末まで生き残った大名はスゴイと思います。
そんな中で潰したくても潰せなかった『薩摩の島津と長州の毛利』
両家が生き残ったことで維新を成し遂げたという点では
どこか皮肉めいたことを感じます。