幼い娘を殺した セネガルからの留学生ロランスの裁判を

フランス生まれのアフリカ系女性作家ラマが 新作の取材で傍聴する。


親の期待に押しつぶされそうになりながらも

優等生で完璧なフランス語を教育され 夢を抱いて渡ってきたであろうロランスの フランスでの生活の失望感、敗北感。

親子以上に年の離れた彼氏の ロランスを隠そうとした(だろう)様子や

(さらっと流されてたけど ネット情報だけで一人で出産って あんた)

大学の教官の差別心。(ラマもデュラスを講義してるぞ)

母親の自己批判皆無の顕示欲。

追い詰められていく様子がありありと感じ取れる。

保身の嘘も仕方ないような。

動機を この裁判で知りたい、と裁判冒頭で言う。


裁判中 被告人も証言にたつ人も すべてセリフでの対応。

回想シーンの演出はなしの緊迫感。

チラシによると 実際の裁判記録をそのまま使っているそうです。

ロランスの眼差しにたじろがされる。


回想シーンは ラマの断片的な子どものころの母親との関係。
本人は 愛されていなかったという思いが強いんだけど
(さらっとスルーされる とか)それほどか?という感じ。

ロランスの受けた心の傷は 母親世代(か、その上の世代)が引き受けてくれたと

ラマは気づいてくれただろうか。
妊娠初期の不安と事件の内容で

母の様になりたくない 子どもを愛せるだろうか、と悩むラマ。

取材の一つだろうけど「王女メディア」見るなよ。自分を追い込むなよ。


ロランスがラマに向かって微笑む場面。

それで ラマは激しく取り乱すんだけど

わたしの解釈は ラマの想像(見間違い)だと思う。

その微笑みは「あんたも同じだよ、母親になったら同じことをするよ」

と ラマにはみえた。

ホント 個人的な解釈ですので。


弁護士の弁論、感動的なんだけど

DNA(母子キメラ)からくる普遍的な母性至上主義でくくってしまうのは 

どうかと思った。


裁判官、弁護士と女性がズラリ。ちょっとびっくり。フランスでは普通なのかな。

この映画の制作陣も女性がメイン。

男性が中心に作ったら ベッドシーンとか入れそうですね。(偏見)


観終わった瞬間「すばらしい!いい映画だ!」とは感じなかったけど

ずっと引きずる映画です。

マイノリティが創る複合的マイノリティを描いた映画は 

今後どんどん増えていくでしょうね。良き。