考える力




考える力がなければ、少なくとも他人の言うことを聞き続ける人生になるだろう。



受動的、受け身だからだ。



能動的に考える力さえあれば、自分の人生は自分でコントロールできる領域が大きくなる。



そのためには、日常から 「なぜ」 と問う習慣をつけることだ。


何気ない日々の生活から、仕事においてまで 「なぜ」 を考える。




何回も自分自身に問いかけることで、問題発見能力は格段に飛躍するだろう。


・なぜうまくいったのか

・なぜこの仕事はこのように進めるのか

・なぜこの商品は売れているのか



特に順調な時は分析を怠りがちだが、どちらに転んでも考え抜く。



一度 「なぜ」 と思えば、少なくとも3回は 「なぜ」 を繰り替えそう。

そうすれば、たるんでいた脳が働き出す。



これをするだけで、他人とは違う角度で物事を見る習慣をも身に付けることができる。




習慣に流されるな


現状に満足するな


今ある常識を疑え



とまぁ、こんなことも言ってみたかったのよ。

エラそうでごめんね。









踊っているブラジル人を見ていると、悩み事がなさそうです(もちろんあるでしょうけど)。


楽しそうに踊っている姿をみて、日本人にはないノリを改めて感じました。



その踊っている人を囲んでいる、何かに取りつかれたようにカメラを構えている人たちのことは昨日のブログで触れました(改めて思い出すだけで異様です)。



なにがこうも国民性が違うのかとさらっと調べてみました。



彼らの発想は「明日は明日。今日は今日。今日が楽しかったらそれでいいでしょ」という発想らしい。



みんなそれぞれが自己中心的。何で会社・社会のために働くのかが分からない。



働くのは自分のため、そして年金もらえるだけの年数働いたらさっさと引退して年金暮らしをしたいと考えている。人生は遊んでナンボ。


明日いいことがあるかもしれないのに、何で今悩む必要があるのかが理解できない。なぜ物事をそんなに深刻に考えるのか?失業したら、親戚を頼ればいい。お金がなくなったら、サラ金にでもお金を借りればいい。お金を貯めてそのまま死んじゃうより、借金して死んだほうがよっぽど得だという発想なのである。



確かにこういったラテンの考えとは対極であろう、我々日本人と同じモノサシで計ることはナンセンスであることは理解していますし、ラテンの考え方そのものに賛成しているわけではありません。


もう少し、ラクに考えようよ。 いつから日本人たちは取り憑かれたようになったのかね。



そもそも何事も深刻に考えてもどうしようもないことが大半。


終わってみれば大半が杞憂。


そんな感じでいいんじゃない?




ちなみにブラジル人が日本で住みだした途端、自殺率が格段に上がったデータがあるらしい。


根っからの陽気な人間をも破壊する土壌がこの国にはあるのかと思うと、やはりこの国は特殊な国かもしれない。


今日、神戸まつりがあったので行ってきました。




新しいコーナーが出来ていたので近づいてみると、東北物産展をしていました。


よっしゃ、ようけ買うたろっ。 と思いきや、どこも売り切れ(10店舗ほどあったかな)。


あまり東北とは縁が無かったこの35年間、なにか接点を持ちたかったけど、残念な結果に。。。




それならそれで、横にあった横断幕。  


「神戸市から被災地へのメッセージを添えて」とのメッセージにつられ、人込みをかき分け、横断幕に応援メッセージを書きなぐる!  そして募金箱に1000円を投函し(少ない?)、なんとか心を平安に保つ。




そして大音量を響かせ、近づいてくるド派手なサンバチームのオネーチャン達に心を躍らせ、しばし見物。



ほんと楽しそうに踊ってます。



対してその周りで、真顔でカメラ、ビデオを取り続けるオタク系のオッサン達・・・。


純な気持ちで見たい子供たち、家族連れの人たちは場所が取れず、諦めて去ってゆくいたたまれない光景がその周りでありました。



そのコントラストはほんと怖かったですよ。



そしてうしろから子供が、「このおっちゃん邪魔」となんと勇気のある発言。



「そーや、言うたれ、言うたれ」 と思いながら、どんな子かと振り返ると、なんとその子はボクに言っている模様。



オタク系のオッサン達を構成しているひとりとして認識され、しかも子供達の邪魔であることに全然気づかなかった自分を恥じ、そこはおとなしく譲ったのでした。



ヨド○シカメラの手提げを持って、マジックハンドが中から覗いていたからそう思われたのかは謎ですが、あのオッサン達と同じ部類と思われたのが、少なからずショッキングな一日だったのよ。