嶋乃猫のブログ

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自分勝手に見たり食ったりフラフラ放浪

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パンダ


暗い話しだが・・・



この前、Kサツに行ってきた。

別に悪い事した訳じゃないよ。

鬼籍に入った家人の事を詳しく知りたかった。

#から始まる電話番号に電話したら

情報は開示する、という話しだったので

早速高山Kサツ署へアポ取りに行った。


そしたら、親切な高山Kサツの皆さんは

早速応対してくれた。

アポ無し凸なのに。


内容は詳しく教えられないし

調書はも写真も見せられない、とのこと。

#から始まる電話相談の時も

電話口のKシチョーだかどこだかわかんないけど

優しい口調の男性が

見られるかも知れないけど

見ない方がイイかも知れない的な事は言ってくれてたんだ。


高山Kサツの方も

見せない方がいいと判断したのだろうか?

だって皆さん、とても真摯に対応してくれたんですよ。

忙しいのに時間割いて気を遣ってくれて

本当に感謝です。



まぁ、これで少しだけど

諦めというか

区切りというか

本当に私の関われない遠いところの人になったんだって

痛感出来た訳なのよ。




この頃憶えたことは

夜中に思いっきり酒飲んで泣くの。

今夜も泣くわ。

いつか涙が涸れる日が来るまで泣くわ。






昼間の高山

ふつーに暑いよ。

救いは

明け方にかけて涼しくなることだね。


で、世の中土用ウナギが高騰とか

何とか条約で食えなくなるとか騒いでるけど

自分達ガキの頃は滅多に食えなかったし
 
食わなくても別にいいわ、みたいなw



岐阜県で暑い時期のウナギといえばコイツ

どよううなぎ
中の人が気の毒ですな。


苦労話って

話す人によっては

自慢話みたいなものだよな。

聞かされてもさ、心の中では

「へぇ~そうですかい」

早く終わってくれネェかなぁ。。。

ってな感じ。

自分も気を付けないとイカンね。
家人が傷病休暇を取った。

ほぼ寝たきりだった。

病院を変え、やっと痛みも治まり

リハビリをして

車も運転出来るまでになった。


それなのに

彼は

黄泉の国に憧れ旅立ってしまった。

私はあの日から時間が止まったままだ。

やらなきゃならないことが沢山あるのに

気持ちはあの時の悲しい感情のままだ。

 
本当に悲しいときは涙も出ない。

でも、二次元でしか彼の姿を見られない、

声も体温も二度と感じられない

そんな事をふと思う瞬間に

抑えきれないほどに涙が流れる。


彼の死を選ぶときの感情や

死の瞬間を思うとやりきれない。

残された文章を見ると胸が苦しい。

なんとか出来なかった無能な自分が恨めしい。
何年か前の春に東北地方を巡ったことがありました。

あの時は牛タンや酒に心底しびれまくり

温泉サイコー!だったりで楽しかったの。

お土産に買った各地のワンカップが

旅の途中で消費されるという美味さw



次回は

松島や岩手の海岸沿いなんかも行きたいと
 
いつでも気軽に遊びに行けるものだと思っていました。

あの街、あの美味しいモノの宝庫が

常にあるものだと思っていました。





震災直後

たまたま行ったやまやで

東北の製品を並べているコーナーがあって

そこの品物をいくつか買いました。

すごく美味しい缶詰があって

でも何か心配になって

そこの住所をグーグルマップで検索したのよ。

遠いね岩手、なんていいながら空撮に切り替えた。

・・・何も無くなっていました。跡形もなく。

この缶詰め作った人達は、原料を海からとってきた人達は

無事なのだろうか

見たことも会ったことも無い人達だけど

なんていうか

上手いこと表現出来ないけど

助かっていてくれって心から願った。




自分は微力で何も出来ないけど

3月11日という日を絶対にわすれない。