話が枝葉のように広がって
どこから話したらいいのか
どこまで話したらいいのか
分からなくなる時があります。
どれもが繋がっている。
同じ時を生きるものとして
あなたにも、あなたにも、あなたにも。
とりあえず、目の前のあなたに
私と一緒に過ごす時間を、それは一瞬でも
かけがえのない、わたしたちを共有したい。
そして時間を縦にしてみても
やはり、繋がっているのです。
過去のはるかその昔から
未来のその先まで
膨大な時間の経過と
壮大な広がり方に
私たちはきっと、幸せを目の前にした時のように
少し怖くなってしまうかもしれません。
こんなにいろいろ知ってしまうよりかは
知らなかった方が良かった、と感じるかもしれません。
私はつい先頃、ある講演を聴いた
感想を話している時に
話しながら気付いたことがあったんです。
私たちは生きていると
本当にいろんなことを体験します
楽しかったことばかりではありませんよね。
悲しみ、寂しみ、苦しみ
どうにもならない怒り。
ニュースでも事件になってしまった話を耳にすると
胸が潰れるというか、
憤りを感じて顔が曇っていくのを
感じます。
人間は自分のことを優先に考えがちですが
かといって、本当の自分を知ろうともせず
思ったようにいかない外側の世界を
そこだけ切りとって、
その場だけの衝動に身を任せてしまう、
そうすると誰かを傷付けるような
思考になってしまうのです。
どうすればいいのか、
シンプルですけど、こんな自分と
思っている自分にまず興味を持つことなんじゃないかと思います。
好奇心、そこから全ては始まっていくと
私は思ったのです。
なんでそうなの?といった
なんでよ、どうしてこうなっちゃうのよ。
といった負の感情はしまっておいて
そうなんだ、とまず共感から入るのです。
その理由を知りたい、と次はこう思うのです。
どこまでも共感と好奇心で
相手、己もですが
関わっていくと、理解不能、想定外のことが起こっても
そこにサバイブしていくことができる。
内面の成長の変化と
外側の縦横に繰り広げるられる世界の事象を
へぇなるほど、そうなんだね、
といった風に捉えていくこと
冷めてる訳とかそういったことではなくて。
好奇心て、その原動力みたいなものなんじゃないでしょうか。
勇気と好奇心を持って
この摩訶不思議な世界を
サバイブしていこうじゃありませんか。
本当は不安だし、怖いこともあります。
でもそこにいつまでも留まっていては
なんでしょう、私たちは生きているんですよね。
いつかは破壊される身体の
ほんとひとときの暇のようなこの人生を、
そのような形にしてしまうのは
あまりにも残念すぎませんか。
深く沈んだら次は上がっていくだけです。
思ってもみなかったことは
これからだって起こります。
もちろん、奇跡のような出来事だって。
味わって楽しんで前に進んでみませんか。
私たちは一体になることは
できません。
個人として自立しながらも
他者と繋がっていこうとした時
それは共同体という形を成していきます。
仲良しこよしではなく、
了解し合う関係です。
それをかつては今より感覚として
持っていたように思います。
物理的な世の中になりすぎて
その感覚がおかしくなってしまって
いないでしょうか。
言葉や理屈ではなくて、
そういった感覚をひとりひとりが
自分の中で育んでいくことができたなら
私は特に子供たちをみていると
そういったことがいつも頭に浮かびます。
なにを教えてあげたいのか。
大切なことだけでいい、
数は少なくてもいい。
世界は美しいんだよ、
歓迎されていることをまずは伝えたいです。
クラスの子達とは別行動で
全く親子2人で観光旅行気分で始まった
私たちの修学旅行ですが
息子は知ってか知らずなのか
それなりに楽しんでくれているようでした。
自分のiPhoneを手に、
写真やユーチューバーさながらに
実況動画を撮っては
自分の好きなところ、
例えば、電車の中のトイレとか
私にはよく分かりませんが(笑)
そういった興味があるところを
思う存分探検していました。
思えばあっという間に到着駅に着き
外に出た訳ですが
空気がまず違うことに
2人で感動してしまいました。
そこは自然に囲まれたところで
建物は低く、視界がとにかく広いんです。
そして、この空気。
いいねぇ。深呼吸する私たちは
一風変わった親子に映ったかもしれません。
でもいいんです、私たちは楽しいんだから。
とりあえずそこの郷土料理をいただいて
目的地の山の方へと向かうべく
バスに乗り込みました。
長くなってしまいました。
続きます。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
今日もいい一日を。