琉球王朝の第一尚氏王統は尚巴志が三山を統一したときに始まり、第6代尚泰久王の重臣であった金丸が、第7代尚徳王に代わって王位に就くまで64年間続いた

 

尚泰久王の妃は中城城主護佐丸の娘である

 

また、尚泰久王の娘は勝連阿麻和利に嫁いだ百十踏揚(護佐丸の孫になる)である

 

中城護佐丸は阿麻和利の謀略により落城したが、その後、百十踏揚により、その謀略が暴かれ、阿麻和利は王府軍に攻め滅ぼされた

 

勝連城を攻めたときの指揮官は鬼大城で、後に百十踏揚を妻にするが、第二尚氏王統になると冷遇され追放される羽目になった

 

先日、南城市の県道を走っていたら、尚泰久王の墓の標識が目に付いたので行ってみた

 

琉球王国の歴代国王が葬られている墓と言えば、世界遺産群の一つになっている「玉陵」(タマウドゥン)であるが、しかし、それは第二尚氏王統の墓である

 

琉球を統一した尚巴志の墓は第二尚氏からは認められず、出身地である佐敷や首里から追われ、読谷村の山中に隠れてひっそりと祀られているという

 

 

 

 

尚泰久王の墓