平和記念公園にある沖縄戦没者墓苑に手を合わせてきた

 

国立沖縄戦没者墓苑は、沖縄戦でなくなられた住民や軍人などの遺骨を納めた国立墓苑である

 

 

私は毎年、沖縄全戦没者追悼式へ参加の際、そこを訪れているのだが、今年は健康を損ね参加することが出来なかった

 

墓苑は平和記念公園の一角にあるが、そこには平和の礎や日本各県出身地別の慰霊塔がある

 

また、平和資料館、平和祈念堂などの施設もある

 

 

 

平和記念公園は沖縄戦跡国定公園指定されている

 

この一帯は沖縄戦最後の激戦地であり、また、終焉地でもある

 

1945年5月アメリカ軍の攻撃により、日本軍司令部は本島南端部、島尻に撤退した

 

狭い島尻では南下侵攻する米軍から避難する一般住民と撤退しながら抗戦する日本軍が混在しパニック状態に陥った

 

日本軍による組織的抵抗は、1945年6月23日に司令官、牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了した

 

 

沖縄県では日本軍の組織的抵抗が終了した(沖縄の終戦)6月23日を慰霊の日としている

 

その日に平和祈念公園では県主催の「全沖縄戦没者追悼式」が行われている

 

 

以下引用

国立沖縄戦没者墓苑の建立から現在までの経緯
 沖縄戦においては 軍民合わせて18万余の尊い命が失われました
 この戦没者の遺骨収集は戦後 いち早く地域住民の手によりはじまり 各地に納骨堂や納骨堂を兼ねた慰霊塔を急造し 収集した遺骨を納めました
 昭和32年(1957年)には 政府が当時の琉球政府に委託して 那覇市識名に戦没者中央納骨所を建設し 納骨してまいりましたが 次第に収骨数が多くなるにつれ 中央納骨所が狭隘となってまいりました
 このため 国難に殉じた戦没者の遺骨を永遠におまつりするのにふさわしい墓苑を新たに造るべきであるとの要望が沖縄県をはじめ関係遺族等から寄せられ 厚生省(現厚生労働省)の配慮により昭和54年に本墓苑が創建され 中央納骨所から本墓苑に転骨したものです
 しかし その後 毎年のように約100柱が新たに収集納骨されたことから 昭和60年に後方に納骨堂が増設されました
 現在 本墓苑には戦没者18万余柱が納骨されております
 正面の参拝所の屋根は沖縄の伝統的技法により焼かれた赤瓦を使い 紋には桜の花を用いています
 納骨堂には 沖縄産の石灰岩トラバーチン1千個が琉球王家の墓を模した古来の技法で積み上げられています
 納骨堂はコの字形となっていますが これは祖国の平和の礎となられた同胞を温かく抱擁していることを意味しています
 納骨堂に抱きかかえられるように安置されている石棺は福島県産の黒御影石で どっしりとした万成御影石の台座にのっています 石棺の中には 沖縄の各戦場の象徴遺骨が白木の箱に分骨して納められております