浦添グスクと浦添ようどれの散策
浦添グスクは13世紀末に造られたグスクで、中山(沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられている
14世紀後半から15世紀前半頃には大規模なグスクとなった
政権拠点が首里城に移った後の16世紀には、第二尚氏第三代の尚真王の長男である尚維衡が居住し、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていた
尚維衡のひ孫、尚寧王が第二尚氏7代の国王となった
浦添グスクの王統は 舜天→英祖(浦添グスク築城)→察度(グスクの規模拡大)→第一尚氏(尚巴志により浦添グスク滅ぶ、その後、三山統一)→第二尚氏
浦添グスク北側崖下にある「浦添ようどれ」は琉球王国初期の王陵で英祖王が築いた
その後、浦添出身の尚寧王が改修し、王自身もここに葬られた
伊波普猷の墓と顕彰碑
浦添王子遺跡
浦添城の前の碑
尚寧王時代に首里から浦添城までの道路を整備した際の竣工記念碑
シーマヌウタキ
グスクの南側崖下の洞穴
グスクの南側で城壁の発掘作業が行われていた
「浦添ようどれ」へと続く階段
浦添ようどれ
右側が西室(英祖王陵)、左側が東室(尚寧王陵)