世界遺産  識名園  国指定特別名勝





識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。



18世紀の終わりごろつくられ、1800年に尚温王冊封(さっぽう)のため訪れた正使(せいし)趙文揩、副使(ふくし)李鼎元(りていげん)を招いています。


王家の別邸としては1677年、首里の崎山(さきやま)村(現在の首里崎山町)に御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)がつくられました。



首里城の東に位置したので「東苑(とうえん)」とも呼ばれ、識名園は、首里城の南にあるので「南苑(なんえん)」とも呼ばれました。


識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)」となっています。



「廻遊式庭園」は、近世に日本の大名が競ってつくるようになった造園形式ですが、識名園の池に浮かぶ島には中国風あずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩を積みまわすなど、琉球独特の工夫が見られます。


識名園はかつて、春は池の東の梅林に花が咲いてその香りが漂い、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗(ききょう)が美しい花を咲かせ、常夏(とこなつ)」の沖縄にあって、四季の移ろいも楽しめるよう、巧みな配慮がなされていました。


1941年(昭和16年)に国の「名勝」に指定されましたが、去る大戦によって壊滅的な破壊を受けました。



1975年(昭和50年)から整備が進められ、約20年の歳月と約8億円にも上る費用を費やして、ようやく今日のような姿を取り戻しました。



1976年(昭和51年)130日、再び国の「名勝」の指定を受け、2000年(平成12年)330日には「特別名勝」に指定され、さらに同年122日、ユネスコの世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)に登録されました。





説明文は識名園パンフより引用しました

写真は自前です







御 殿

御殿(ウドゥン)は赤瓦屋根の木造建築で、往時の上流階級のみに許された格式あるつくりですが、雨端(アマハジ)などに民家風の趣を取り入れています。明治末期から大正時代のはじめごろ、増改築がなされました。





六角堂

池に浮かぶ島につくられた六角形のあずまやです。

屋根の形や瓦を黒く色づけしているところに、中国的な

趣を感じさせます。島へは、一つの石(琉球石灰岩)で

つくられたアーチ橋が架けられています。





石橋

池の中に配された島に、大小二つの石橋が架けられて

います。いずれも、橋の中央が高くなったアーチ橋で、

中国風のデザインです。









※最近は、時間さえあれば沖縄県の名所旧跡を観て回っています


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