史跡 安慶名城跡 昭和47年5月15日 国指定
14世紀の頃、安慶名大川按司によって築城されたと伝えられ一名大川城とも呼称されています。城跡は天願川畔の平地に屹立する琉球石灰岩の山全体を占め自然の断崖を巧みに利用して城壁とし、さらに山の中腹部から野面積み手法によって城壁を築き上げています。
中心部は山頂大地であり、これを抱護するように外郭をめぐらした輪郭式の構造をもっています。
内郭南側に開口する城門までは、東側下方から斜面に沿って石造りの階段がとりつけられていています。城門は自然の岩盤の裂け目を利用して、これを一部切削し、さらに切石を組み合わせて、アーチ状に建造したものとなっています。
城門の間隔は約1.0mと比較的狭くしてあり、内部中央付近の上下両脇には扉をとりつけるための敷居・鴨居穴がみられます。
城内からは中国製の陶磁器やグスク時代の土器等が出土しています。
銘文より引用
安慶名闘牛場
闘牛の盛んな具志川で、以前は「闘牛といえば安慶名闘牛場」であったが、最近、石川に石川闘牛場(多目的ドーム)ができてからは、あまり利用されなくなった
私が訪ねた時も草が伸び放題で少々荒れた様子であった
安慶名闘牛場から望む安慶名城跡
自然の岩をくり抜いて造られた城門
城址の麓にある慰霊之塔
参考:石川闘牛場




