平成26年度島袋小学校アクセス道路の開通!と思いきや、あと一歩のところでストップしてしまった。



1件の営業補償の問題で難航し、未だに開通できません。



入り口付近の道路以外は開通しており、子供たちの安全性は大幅にアップはしている。



この道路の危険性は島袋小学校の開校(平成元年)当初から言われていた。



道幅は狭いし、電柱も立っているので通学路として危険この上ない道路でした。



島袋では、地域行政懇談会や自治会からの要請、そして村議会でも幾度となく取り上げられたが、改善に至らなかった。



5年ほど前、当時の村議氏が国に対してパイプのある国会議員A氏に相談した。



傘をさしてもずぶ濡れになるほどの大雨の日、A氏とK氏、私(当時は自治会長)と共に現場を視察した。



「このアクセス道路は改良しなければならない!」とA氏、さっそく国と掛け合ってくださった。



A氏とK氏は東京に出向き、現状を訴え、補助金を約束してきた。



その後、幾多の困難を得て、やっと村長に納得してもらい、北中城村として要請をすることとなった。



補助金は認められ、正式に請求することとなったが、その前に地権者の同意書が必要ということになった。



本来、同意書の徴求は役場職員が業務として行うべきと思うが、事を急ぐということで自治会が担当することになった。



当時、村議だった与儀氏と喜屋武氏が地権者に同意をお願いするため、私と同行してくれた。



貸家の立ち退きとなった80歳代のBさん、「イエー区長、ウヌヤーヌ  ヤチノーヤー ワンヌ クジケーグヮード ヤンド-」(自治会長、 この家の家賃は私の小遣いだよー)



心は痛んだが・・・・・「将来を担う地域の子どもたちの安全のために」と同意して下さった。



陶芸をしていたCさんにも窯の移転先を探すなど苦労していただいた。



そして、「平成26年度開通」と思っていたが、思わぬところに落とし穴があった。



アクセス道路の入り口(県道22号線沿い)に飲食店があるが、そこが営業補償を要求してきたのだ。



しかも、役場の査定とは桁外れの金額だという。 地主、家主は同意している。



私はいまだに忘れられないBさんの顔を思い出した。「子どもたちのために・・・」と協力する人もあれば、この際にと「査定以上のお金を要求する輩もいる」・・・・・



悲しい現実であるが、東京在住の弁護士が、遠い田舎の沖縄の地の営業補償を東京なみ(?)に査定しているのでは?・・・・・そう思わざるを得ない。



地域に住んでいる方、事務所のあるかた、お店を構えている方、皆が一緒になって、協力し合うことによってお互いの発展がある。





この飲食店の経営者の方にも、ぜひ考え直していただき、島袋地域とともに発展して欲しいと願う。









しかし、冷静に考えてみると、この道路は「子どもたちの登下校時の安全を守る」ために改良されたものだ。


車は通行できないにしろ、当分の間、歩行者専用道路にすれば「子どもたちの安全」は守れると考えるが・・・・・