終戦、間もないころ、島袋には多くの外人住宅なるものが建ちました。

米軍対象に貸す住宅のことです。


コンクリート建築で平屋、モダンな外観の外人住宅は、戦後の沖縄の人々にとってあこがれの対象だったといいます。


米軍施設の建築技術を得た地元業者によって、コンクリート住宅が供給され始めました。そのような経緯があるため、沖縄のコンクリート建築の発祥は外人住宅であるといわれる所以のようです。


島袋の現在の14班、15班、18班、19班などは当時の外人住宅が多く残っています。しかし、今は米軍の住民はほとんどなく民間人が住んでいます。




8月5日(日)、公民館において九年堂原地主組合の総会と地料の支払いがありました。


終戦間もないころ、山(丘かな?)の頂上付近を敷き均し、三本の道路をつくり、その道路に面して適当に区割りして外人住宅をつくったのが九年堂原地主組合が管理する地域です。


現代であれば区画整理組合を立ち上げ、土地もきちんと区画すべきところですが、当時はそれができませんでした。


その結果、一つの住宅敷地に幾人もの地主がいたりします。当該土地の売買があった時などには測量し、分筆・合筆をし、ひとつのまとまった土地ができたりもしています。しかし、全地域が整理整頓されるには、長い年月を要するものと思われます。


いずれにしても、賃借人は賃借料を支払い、地主は賃貸料をいただく、という図式はできていますので、これからも平穏無事に推移するものと思われます。



しまぶくよいとこ
(写真は九年堂原地域)                                                    


8月6日(火)今日の公民館利用状況

 ・ フラサークル

 ・ 小学生英会話教室(低学年)

 ・ 小学生英会話教室(高学年)

 ・ 中学生1年生数学講座
  ・  棒術練習